2014/10/18

Yohan - Barnevandrer (2010)

Yohan - Barnevandrer (2010) ★★★★

「オリバー・ツイスト」のように、貧しい中で健気に生きている少年の話。誰でも楽しめるファミリー映画で、期待を裏切られることなく、ある程度展開が予想できる(?)おじいちゃんが、自分の幼少期を話して聞かせる形で映画が始まる。以下は感想というよりは、話のあらすじ。

1980年代、ノルウェイの貧しい家庭に生まれたヨハン(Robin Pedersen Daniel)。金髪の男兄弟が五人ほどいた。一番の末っ子は、病気がちで咳がとまらない。冬になって雪が積もると、食料も底をついてきて、生活できなくなる。子供たちを農場へ出稼ぎに行かせるという誘いもあったが、父親は絶対に息子たちをそんなところへやりたくなかった。家族を置いて、自分だけで出稼ぎに行く。しかし、父親がいないときに、母親が死産をしてしまう。兄弟たちは、この不幸をヨハンのせいにする。ヨハンは、働かずに、ハーモニカを吹いたり、動物を追いかけたり、自分勝手なところがあったので、彼にあたったのだった。内緒でヨハンの名前を出稼ぎリストにサインする。

ヨハンは、同じように農場に引き取られる子供たちと列をなして、険しい山を下りる。その時友達になったのが、女の子のアナと幼い弟のオライだった。

ヨハンが働くことになった農場には、意地悪な兄弟がいた。汚い恰好をしているヨハンを見ると、馬鹿にしたように笑う。そして、仕事を少しさぼっているのを見つけると、お父さんに大げさに告げ口し、真に受けた父親は、ヨハンの手を鞭で打つのだった。

アナとは、たまに会うことができた。数少ない味方だった。しかし、アナはいつも元気がない。足や顔には痛々しい痣がある。アナの仕事先の農場は、ヨハンのところより意地悪な農場主がいた。そしてあるとき、アナの代わりに別の男の子がやってくる。アナはどうしたんだ?と聞くと、死んだよと言われる。

アナが死んでしまったと聞き、悪夢にうなされるヨハン。思わず、農場を飛び出して、アナのところへ向かう。するとアナは生きていた。死んだと聞かされていたのはデマだった。しかし病気を患っており、幼い弟と一緒に馬小屋のわらの上で寝たきりになっていた。何とか助け出そうと、放浪しているジプシーたちに協力を求めて、アナを救出する。

船で各国を旅していたヨハンの父親が故郷に戻ってくる。港で、息子が出稼ぎに出ていると聞かされ、ヨハンが逃げ出してきた農場へ向かい、息子の足取りをたどる。

アナとオライとヨハンは、夕暮れ時に、魚を捕まえて、たき火をしていた。暗くなってきた頃に、大きなクマが現れる。ヨハンは、火を使ってクマを追い払おうとするのだが、突然銃声が響いて、クマが倒れる、ヨハンの父親その場にやってきて、クマを撃ったのだった。親子の再会だった。

翌日、家畜を食い荒らすクマを倒してくれたということで、ヨハンと父親は、農場主からお礼をたくさんもらう。ヨハンに意地悪ばかりしていた兄弟も、ヨハンに靴をプレゼントしたり、反省していた。無事家族のもとに帰り、ハッピーエンド。死産をした母親を思ってか、アナとオライも、家族の仲間に入れる。


1er amour (2013)

1er amour (2013) ★★★★

憎いほど映像が美しかった。夏休み、山の中の別荘にやってきた父母息子の三人。緑生い茂る大自然の中、太陽の光をたっぷり浴びて、優雅にランチ。テーブルの上には赤ワインなんかおいてあって、フランス語で流暢におしゃべり。うらやましすぎる夏休み。しかし、浮かれすぎていたせいか、近所の住民との関係が色恋沙汰に発展し、家族はバラバラになり始める。。

13歳のアントワーヌ(Loïc Esteves)は、隣に住んでいる女の子に一目ぼれをする。タイトルを日本語に訳すと「初恋」。彼の甘酸っぱくて切ない初恋物語である。初めて女の子を好きになるのだが、その子にはすでにボーイフレンドがいた。目の前でいちゃいちゃする二人を、さびしそうに眺めることしかできないアントワーヌ。

アントワーヌが恋に落ちる女の子、アンナは、精神的に不安定だった。両親がいない間に、部屋に男友達、アントワーヌを呼び込んで、クラブミュージックもガンガンかけて、煙草を吸ったりドラッグをやったりしている。ちょっとだけやってみないかと、ジュースの中に混ぜ、アントワーヌにも飲ませるのだった。そこからのアントワーヌが、ぼんやりと虚ろな目をして、フラフラで、なんとも言えない色気を漂わせていた。彼の魅力たっぷりに作られたような映画。

オナニーする場面があった。好きな女の子にドラッグを盛られて、ふわふわしながら家に戻ってきて、窓から月明かりの空をぼんやり見つめる。ベッドに横になって、あの子のことを考えながら、しこしこし始めると、「こんな時間までどこに行ってたの!?」と、いきなり母親が入ってくる。ぎりぎりばれずに済んだ。

実らぬ初恋によって落ち込んでいるアントワーヌが、大自然の中を、クラシック音楽に合わせて歩き回る。そういう美しい場面が多い。誰にも悩みを相談できずに、自分の中にため込んでいくアントワーヌ。しかも、そんな風に歩き回っているうちに、次から次へとショッキングなことばかり目撃してしまう。特に、父親とアンナが、木陰でキスや、それ以上のことまでやっているところに遭遇したとき、アントワーヌは思わず涙を流す。

それにしても、アントワーヌの父親もどうかと思う。ずいぶん年の離れた女の子と、しかも野外でいやらしいことをし始めるのだ。息子のアントワーヌに見られてしまい、父親の威厳が完全になくなる。ただアントワーヌも、このことを誰かに言ってしまえば、家庭が崩壊してしまうかもしれず、誰にも言えない。まさか好きな女の子が、自分の父親と…

そしてそのあとの食事のシーン。アントワーヌは、テーブルに置いてある料理には目もくれず、父親をずっと睨みつけている。父親もその鋭い視線を痛いぐらい感じているのだが、恐る恐るちらっとアントワーヌを見るだけで、すぐに目をそらす。そんな二人の異常さを母親も察する。昼間の太陽に照らされ美しい緑の中、その場だけが異様な冷たさ。

最終的に、父親と女の子とのことは、みんなに知れ渡ってしまう。母親は泣いて、女の子は、海の方へ駆けていき、飛び込む。そしてアントワーヌは、女の子を追いかけて、おぼれているその子を救い上げるのだった。


2014/10/17

Osada havranu (1978)

Osada havranu (1978) ★★★

大昔、石器時代の話。一時間ぐらいで見やすかった。敵対する部族との争いや、仲間の裏切り、少年の成長と、わかりやすい物語。紀元前の話だからといって、猿みたいな人間が出てくるわけではなくて、登場人物はみんな白人。毛むくじゃらで汚れていてということもなく、美男美女もいる。

小さい布で隠しているだけなので、露出度が高かった。「蠅の王」「青い珊瑚礁」みたいだった。ただ、「蠅の王」でいうところの残酷な人間関係や、「青い珊瑚礁」の男女二人だけのアダムとイブ的な恋愛物語など、ハラハラドキドキの展開にはならず、普通の社会にも通じる一般的な話だった。男は狩りへ、女は家事。多く獲物が取れた時には、隣の集落に差し入れをして、よい関係を保つ。子供たちは、先輩たちの姿を見て、勉強したり、狩りの練習をしたりして、立派な大人になるための準備をする。

石器時代の映画を見たのは初めてだった。SF映画などで、猿だけの惑星とか、大昔が舞台になっていることがあるが、あくまでフィクション。それらに比べると、一応は当時の生活に近づけているのかもしれない。女の人でもわき毛がぼうぼうだった。その割りに髪の毛や肌はきれい。話とは別のところに注目してしまう映画だった。


2014/10/16

Obediencia perfecta (2014)

Obediencia perfecta (2014) ★★★★★

寄宿舎で修行を積むジュリアンと、エンジェル神父の不思議な関係を描いた作品。神学校は規律が厳しく、もちろん女の子はいないし、そこで生活する年頃の男の子たちにとっては、欲求不満でおかしくなりそうな環境だと思う。あと、生徒たちを導く神父たちにとっては、若くて可愛い少年たちと毎日一緒に過ごしていれば、そのうち変な感情が芽生えてしまうかもしれない。そういった寄宿舎での危険な雰囲気がテーマになっている映画でいうと「バッド・エデュケーション」「The Boys of St. Vincent」など見たことがあるが、それらでは、子供たちを虐待した神父が悪い、と分かりやすい構図だったが、この映画では、子供たち、神父たち、どちら側の立場からも描いていて、奥が深いと思った。神父たちが、ジュリアンのことを気に入るのは分かるが、ジュリアンも、自分に良くしてくれる神父たちに悪い気はしていないようだった。しかし中には見るからにゲイである神父もいたりして、体を触られるなど被害を受けた生徒が、泣きながら親に電話をするという場面もあった。夜中に神父が子供たちの寝ている部屋に入ってきて、ある男の子のところへ行き、そっと起して、別の部屋にその子を連れて行くという場面も何度かあった。


ジュリアンは、神学校に入ることを親と約束していた。親とは離れるが、神学校全体が一つの家族という感じだった。神父と少年たちはお互いのことを、Father, Sonと呼びあうのだった。

ジュリアンは、いつも使っている枕と、弟がくれたテディベアを抱いて神学校へ向かう。この時のジュリアンはまだ弱虫だった。テディベアのことで上級生たちに女々しいと馬鹿にされたり、授業中に優等生っぽく振る舞うと、あとでいじめられたりする。しかし、そこは神父たちの支えもあって、ジュリアンは立ち直り、悪友たちともつるむようになって、煙草を吸ってみたりエロ本をのぞいたりと、普通の少年のように神学校での生活を楽しんでいたようだった。

そしてあるとき、生徒一人ひとりが足を洗われる儀式(?)が行われる。真っ白の服を来た男の子たちが横一列に座って、一人ずつ、足に水をかけられて、そこにキスをしてもらうのだった(画像4)。学校で一番地位のある神父、エンジェルは、以前から気になっていたジュリアンの前に来ると、ほかの生徒にするよりも、緊張した様子で、ジュリアンの足を洗い、キスをするのだった。

エンジェル神父は、完全にジュリアンのことが気に入ってしまったようだった。少年たちがシャワーを浴びるているのを見回りするときでも、ジュリアンのところで足を止めて、眺めているし(画像5)、外でサッカーをしている子供たちの中でも特にジュリアンを目で追う。彼がシュートを決めた時に、エンジェル神父の心も射抜かれたようだった。

ついにジュリアンは、エンジェル神父から声がかかり、彼の住む屋敷に招待される。学校で寝泊まりするのではなくて、しばらくの間、広くて豪華な屋敷で生活できるのだった。これは慣習のようなもので、神父に選ばれた生徒は屋敷で寝泊まりし、彼の世話係をするのだった。エンジェル神父は、ジュリアンに「私はなぜ君を選んだのかわかるか。君の足を洗った時、神が…」と小難しいことを言っていたが、神父たちも大変で、個人的に気に入ったという理由で一緒に過ごす少年を決めてはいけなかった。あくまで宗教上の理由をこじつけて、選出しなければならないのだった。ただ、実際のそのときのエンジェル神父の気持ちは分からない。

生活を共にしていくうちに、二人の関係は変な感じになり始める。もちろん、神に服従している身の彼らの間に恋愛感情などあってはならない。エンジェルもジュリアンもそのことは分かっていた。ただ、エンジェル神父は他の生徒よりもジュリアンをひいきしてしまうし、友達と雑談し笑っている彼を、遠くの方からにんまりと眺めているのだ。

ジュリアンにとっても、選んでもらったことがうれしくて、エンジェル神父にとって自分が一番の存在ででありたかったようだった。しかしあるとき、エンジェル神父が女の人といちゃいちゃしている様子を目撃してしまう。その時こそは、神父の悪口を言うことは重い罪だと分かってはいても、エンジェル神父に口答えをしてしまうのだった。

エンジェル神父は、膀胱に痛みを感じる持病のようなものを持っていた。夜中に、エンジェル神父がその痛みで悶えていると、それを聞いたジュリアンは、ベッドから起き上がり、エンジェル神父の部屋に行く。「紅茶を持ってきましょうか。」とか、心配そうに言う。エンジェル神父は「これは神が私に与えた試練だ」とか、ジュリアンに話して聞かせる。そうしてるうちに、エンジェル神父は明かりを消して、こっちにきてくれと、ジュリアンをベッドの中に入れるのだった。そこから真っ暗で何も見えなかったが、出産するときのように苦しそうな一定のリズムで呻き声が聞こえてくる。ジュリアンがエンジェル神父の股間を癒してあげていたのだと思う。そこが一番親密な場面だった。

次第に、二人の関係も終わりに近づいてくる。ジュリアンは、エンジェル神父にもらった神の言葉が書かれたカードを、自分だけにくれたものだと思っていて、大切にしていたのだが、他の子ももらっていることに気づいてしまう。ついには、「僕とだけ一緒にいて」と言うが、エンジェル神父は「一人を特別扱いすることはできない」と言う。

そしてまた、例の足に水をかける儀式の時期になる。エンジェル神父はいつも通り、新しく入ってきた男の子たちの前に行き、次なる子を選ばなければならなかった。その儀式の際に、エンジェル神父が涙を流したところで映画が終わる。ジュリアンと離れるのがさびしかったのか。

2014/10/10

悪童日記 (2013)

A nagy füzet (2013) ★★★

昔読んだことのある小説が映画化した。普段あまり本を読まないので、映画化されると聞いた時から楽しみだった。「悪童日記」が好きになった理由としては、まるで作者に感情が籠っていないような、あっさりしている文章が、自分にとってはとても読みやすかったというのもあるし、簡単な文章の中に現れる、双子(ぼくら)や戦争の狂気みたいなものが、物語の世界観にぐいぐい引きこんでいってくれたからだった。文章の書き方について、ある人が、「少年の体のような文章」(無駄がないという意味?)と表現していたが、本当に少年の書いた日記を読んでいるようである。これは作者が母国語ではない言葉で綴った文章であるためだと言われている。普通の小説とは一味も二味も違っているところが気に入っていた。

それで、実写化された「悪童日記」のを観た感想としては、カルト映画と言っていいんじゃないのか、万人受けはしないだろうなって感じ。どろどろした家畜の餌とか糞だらけの、汚いおばあちゃんの家にやってきたのは、真っ白い小奇麗なシャツを着た少年二人。顔も服も綺麗な二人がまきを割り始める違和感。「メス犬の子供」と呼ばれ、二人とも同じ顔でおばあちゃんを睨みつけ、「死んでしまえ!」と言い捨てる。音楽も不思議だった。太鼓の音が聞こえてきた。一番期待したラストシーンは、期待以上の素晴らしさでみせてくれた。柵の上に座って、改めて覚悟を決めているような双子のうちの一人。地面から見上げるようなショットで、青空と一緒に映し出す。双子たちの手段を択ばない策略の後の、なんとも言えないすがすがしさ。

一応原作があって物語が存在するので、それには忠実になって映像化している印象だったが、何か微妙なバランスで話が展開していって、そこがまた原作の文章の狂気な感じとマッチしていると思った。傑作だったと思う。ただ、映像化不可能と言われたように、見て感想を表現することも不可能。とにかく見てもらって双子の魅力や戦争のえぐさが伝わればいいと思う。