Mud (2012) ★★★★★
チラシなどでは現代版「スタンド・バイ・ミー」と言われているようだった。2人の少年、エリスとネック、そして指名手配犯のマッドとのひと夏の出来事。「未来を生きる君たちへ」という映画に似ている。淡々と進んでいくが、注意深く見ていないと登場人物の気持ちの変化を見逃してしまうような映画。
エリスとネックの二人は、少し離れた小島で、身を隠しているマッドという男と出会う。人を殺して逃亡しているのだった。いろいろ話をしているうちに、マッドはエリスに向かって「昔の俺を見ているみたいだ」という。
マッドとエリスだけが、まっすぐに愛と向き合っていた。マッドの殺人の動機は、大好きなジュニパーを助けるためだった。エリスも、学校の気になる女の子が男に言い寄られていたら、その男に向かって口よりもまず手が出る。そんな二人はお互いに共通するものを感じて、指名手配されているにもかかわらず、協力し合ったのだと思う。
ただ、マッドとエリス以外の男たちは、愛に対して少し淡泊な見方をしている。自分の気持ちに嘘をつかず突き進んでいくエリスを見て、はっきりとは言わないが、遠回しにエリスを諭していた。そんな言葉には耳を傾けないエリスだったが、実際に女を愛した男たちは不幸になっているようだった。エリスの両親も離婚寸前。そんな頼れるものがないときに支えになったのが、愛のために手まで汚したマッドだった。エリスは人を本気で愛したいと願う。メイパールと付き合うことになり、お互いに楽しそうにしているのだが、結局メイパールにとって、エリスはお遊び相手だった。別の男といるメイパールにひどいことを言われた時は、さすがに強気なエリスでも相当ショックを受ける。胸が痛くなるシーンだった。
マッドに関してもそうで、ジュニパーに会いたいという一心で、空腹を我慢しながら身を隠し、脱出のためのボートの修理やらをする。ジュニパーはマッドが献身的に尽くしてきた女である。エリスとネックの少年2人も、マッドに応えて危険を顧みずジュニパーに手紙を渡しに行ったりする。しっかり逃亡の計画もジュニパーに伝えて、準備万全で臨んだ決行当日、ジュニパーが来ない。どこかのバーで別の男と一緒にいるのだった。
そのことを知ったマッドは、子供の頃から尽くしてきた彼女をあきらめる。一人でどこかに行ってしまおうと計画を変更した。そんなマッドを見て、エリスは「嘘つき!」とマッドを罵倒する。エリスにとって、マッドは人を愛し続けることができる証明みたいな存在だった。マッドにだけは裏切られたくなかったのだろう。
結局、一番思ったことは、女心はわからないということ。あと、マッドとトムの父子が浮世離れしているというか、少年たちに大事なことを残して、2人とも消えてしまうあたりなんか、神様のような存在だなと思った。砂浜についた足跡が十字架の形をしているところなんかも。
2014/01/27
2014/01/25
ザ・フリーマン (2013) <未>
Cyanure (2013) ★★★★
原題の意味は「青酸カリ」。アシール(Alexandre Etzlinger)の目線で、家族の再生を描いている。14歳になったアシールは父親のジョーが刑務所から出所してくるのを待ち望んでいた。会ったことのないジョーに対していろんな期待を抱いていた。ところが、出所してきたジョーは、アシールに冷たかった。「自分の息子かどうかも分からない」と言われる。
アシールの母親、ペネロピは、粗暴なジョーとは縁を切りたいと考えていて、バイト先のチーフといい関係を築いていた。アシールにとってはそれが気に食わず、ジョーに成りすまして、母親にラブレターを書いたりし、二人をくっつけようとする。あきらめずに幸せを掴もうとするアシールだった。母親には内緒で、夜中に布団を持って、ジョーのところへ行ったりする。次第に、アシールとジョーは仲良くなっていく。
一方、母親のペネロピは、ジョーのことをなかなか受け入れない。バイト先のチーフといちゃいちゃして、ジョーのことを考えないようにしている。ただ、ある夜は、ドラッグを吸いながら、過去にジョーとベッドを共にしたことなど思い浮かべている。どうしてもジョーのことが気になってしまうのだった。
セックスシーンでヘビメタが流れたり、さらっとおっぱいやちんこが映っていたり、笑ってしまう。アシールの中二病的な妄想も面白かった。銃を扱っていて暴発し目をけがした時は、数日で治るようなけがなのに、アシールの中では左右で瞳の色が違う、特別な男に生まれ変わったようだった。妄想の中では、そんな左右で色の違う目をして、建物を爆破させたりする。
結局、ジョーはまた刑務所に入れられる。ずっと一緒にいようと約束していたのに、そんなのことになってしまって、アシールはやつれていく。刑務所に面会しに行くも、ジョーのほうも参っている。そして、今度来るときは、青酸カリを持ってきてくれと、ジョーに頼まれる。
後日アシールは、手作りクッキーの中に、頼まれた青酸カリを入れて持っていく。ジョーはそのクッキーを口にする。時間が来て、面会室を出るアシールだったが、その場でポケットからもう一つ用意していた毒入りのクッキーを取り出して食べる。二人とも病院に運ばれる…。
Alexandre Etzlinger
原題の意味は「青酸カリ」。アシール(Alexandre Etzlinger)の目線で、家族の再生を描いている。14歳になったアシールは父親のジョーが刑務所から出所してくるのを待ち望んでいた。会ったことのないジョーに対していろんな期待を抱いていた。ところが、出所してきたジョーは、アシールに冷たかった。「自分の息子かどうかも分からない」と言われる。
アシールの母親、ペネロピは、粗暴なジョーとは縁を切りたいと考えていて、バイト先のチーフといい関係を築いていた。アシールにとってはそれが気に食わず、ジョーに成りすまして、母親にラブレターを書いたりし、二人をくっつけようとする。あきらめずに幸せを掴もうとするアシールだった。母親には内緒で、夜中に布団を持って、ジョーのところへ行ったりする。次第に、アシールとジョーは仲良くなっていく。
一方、母親のペネロピは、ジョーのことをなかなか受け入れない。バイト先のチーフといちゃいちゃして、ジョーのことを考えないようにしている。ただ、ある夜は、ドラッグを吸いながら、過去にジョーとベッドを共にしたことなど思い浮かべている。どうしてもジョーのことが気になってしまうのだった。
セックスシーンでヘビメタが流れたり、さらっとおっぱいやちんこが映っていたり、笑ってしまう。アシールの中二病的な妄想も面白かった。銃を扱っていて暴発し目をけがした時は、数日で治るようなけがなのに、アシールの中では左右で瞳の色が違う、特別な男に生まれ変わったようだった。妄想の中では、そんな左右で色の違う目をして、建物を爆破させたりする。
結局、ジョーはまた刑務所に入れられる。ずっと一緒にいようと約束していたのに、そんなのことになってしまって、アシールはやつれていく。刑務所に面会しに行くも、ジョーのほうも参っている。そして、今度来るときは、青酸カリを持ってきてくれと、ジョーに頼まれる。
後日アシールは、手作りクッキーの中に、頼まれた青酸カリを入れて持っていく。ジョーはそのクッキーを口にする。時間が来て、面会室を出るアシールだったが、その場でポケットからもう一つ用意していた毒入りのクッキーを取り出して食べる。二人とも病院に運ばれる…。
Alexandre Etzlinger
2014/01/19
エンダーのゲーム (2013)
Ender's Game (2013) ★★★★
日本での公開も遅めだし、「エンダーのゲーム」というタイトルにもいまいち惹かれなかったし、普通ならスルーするところだが、エイサ君が出演しているということで観てきた。服の上からでもわかるほっそりした体型で声変わりも済み、中学生らしくなっていた。
映画館で見かけたポスターに「お父さんは<サード>の僕なんて欲しくなかったんだ」とキャッチフレーズみたいなのが付けられていたが、内容を観てみると、お父さんとのやりとりなんてほとんどないし、欲しくなかったどころか、宇宙船のメンバーみんながエンダー(Asa Butterfield)を頼りにしている。カエサル、ナポレオンのようになるべき男だと期待されていた。「エヴァンゲリオン」のような雰囲気ですよということで、日本では売り込んでいるのだと思う。別にいいのだが、内容からはずれてまでそれをするのかと思ってがっかり。
簡単に言うと、エイリアンVS人類という物語で、来るべき大戦に向けて数十人の選ばれた子供たちが、非情な司令官のもと、戦闘シミュレーションを重ねていく。エンダーは、天才的な戦術でチームを指揮するし、いざマンツーマンの肉弾戦となっても、絶対に負けない。エンダーが強くなっていく過程もあったら良かったなと思った。
自分的に一番良かったシーンは、チーム対抗バトルの時の、無重力空間でエンダーがくるっと宙返りをしながら、あたりに浮遊している光線銃をうまいことキャッチし、二丁拳銃でバンバン撃つ場面。観ていて気持ちよかった。「キックアス」のヒットガールが、敵のアジトに乗り込んで行ったときの、空中で二丁拳銃を装填するあのシーンのような気持ちよさ。今回は無重力なので、あの時のような違和感もなかった。
映画全体を通して、盛り上がれる場面が今一つないなと思った。エンダーが葛藤や悩みなど抱えていてずっと暗い。最近よくある悩めるヒーロー。あと、ネタバレになるが、最後の戦闘にしても、こっちはシミュレーションだと思って観ていて、むしろ後で起こる実戦のほうに期待している。しかし練習だと思って観ていた戦いが、実は本当にやっていたことだったと明かされて、肩すかしを食らう。「あれ、おわっちゃったのか」と言う感じ。戦争に勝っても盛り上がることはなく、エンダーは、知らないうちに相手を全滅させてしまったことを悔いて涙を流す。結局、エイリアンたちを倒して目的達成したはずなのに、別の惑星で、また1からエイリアンを繁栄させようとするところで終わっている。ハリソン・フォードが上官役で出ていたが、ずっと渋い顔をしているだけだった。
日本での公開も遅めだし、「エンダーのゲーム」というタイトルにもいまいち惹かれなかったし、普通ならスルーするところだが、エイサ君が出演しているということで観てきた。服の上からでもわかるほっそりした体型で声変わりも済み、中学生らしくなっていた。
映画館で見かけたポスターに「お父さんは<サード>の僕なんて欲しくなかったんだ」とキャッチフレーズみたいなのが付けられていたが、内容を観てみると、お父さんとのやりとりなんてほとんどないし、欲しくなかったどころか、宇宙船のメンバーみんながエンダー(Asa Butterfield)を頼りにしている。カエサル、ナポレオンのようになるべき男だと期待されていた。「エヴァンゲリオン」のような雰囲気ですよということで、日本では売り込んでいるのだと思う。別にいいのだが、内容からはずれてまでそれをするのかと思ってがっかり。
簡単に言うと、エイリアンVS人類という物語で、来るべき大戦に向けて数十人の選ばれた子供たちが、非情な司令官のもと、戦闘シミュレーションを重ねていく。エンダーは、天才的な戦術でチームを指揮するし、いざマンツーマンの肉弾戦となっても、絶対に負けない。エンダーが強くなっていく過程もあったら良かったなと思った。
自分的に一番良かったシーンは、チーム対抗バトルの時の、無重力空間でエンダーがくるっと宙返りをしながら、あたりに浮遊している光線銃をうまいことキャッチし、二丁拳銃でバンバン撃つ場面。観ていて気持ちよかった。「キックアス」のヒットガールが、敵のアジトに乗り込んで行ったときの、空中で二丁拳銃を装填するあのシーンのような気持ちよさ。今回は無重力なので、あの時のような違和感もなかった。
映画全体を通して、盛り上がれる場面が今一つないなと思った。エンダーが葛藤や悩みなど抱えていてずっと暗い。最近よくある悩めるヒーロー。あと、ネタバレになるが、最後の戦闘にしても、こっちはシミュレーションだと思って観ていて、むしろ後で起こる実戦のほうに期待している。しかし練習だと思って観ていた戦いが、実は本当にやっていたことだったと明かされて、肩すかしを食らう。「あれ、おわっちゃったのか」と言う感じ。戦争に勝っても盛り上がることはなく、エンダーは、知らないうちに相手を全滅させてしまったことを悔いて涙を流す。結局、エイリアンたちを倒して目的達成したはずなのに、別の惑星で、また1からエイリアンを繁栄させようとするところで終わっている。ハリソン・フォードが上官役で出ていたが、ずっと渋い顔をしているだけだった。
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