Obediencia perfecta (2014) ★★★★★
寄宿舎で修行を積むジュリアンと、エンジェル神父の不思議な関係を描いた作品。神学校は規律が厳しく、もちろん女の子はいないし、そこで生活する年頃の男の子たちにとっては、欲求不満でおかしくなりそうな環境だと思う。あと、生徒たちを導く神父たちにとっては、若くて可愛い少年たちと毎日一緒に過ごしていれば、そのうち変な感情が芽生えてしまうかもしれない。そういった寄宿舎での危険な雰囲気がテーマになっている映画でいうと「バッド・エデュケーション」「The Boys of St. Vincent」など見たことがあるが、それらでは、子供たちを虐待した神父が悪い、と分かりやすい構図だったが、この映画では、子供たち、神父たち、どちら側の立場からも描いていて、奥が深いと思った。神父たちが、ジュリアンのことを気に入るのは分かるが、ジュリアンも、自分に良くしてくれる神父たちに悪い気はしていないようだった。しかし中には見るからにゲイである神父もいたりして、体を触られるなど被害を受けた生徒が、泣きながら親に電話をするという場面もあった。夜中に神父が子供たちの寝ている部屋に入ってきて、ある男の子のところへ行き、そっと起して、別の部屋にその子を連れて行くという場面も何度かあった。
ジュリアンは、神学校に入ることを親と約束していた。親とは離れるが、神学校全体が一つの家族という感じだった。神父と少年たちはお互いのことを、Father, Sonと呼びあうのだった。
ジュリアンは、いつも使っている枕と、弟がくれたテディベアを抱いて神学校へ向かう。この時のジュリアンはまだ弱虫だった。テディベアのことで上級生たちに女々しいと馬鹿にされたり、授業中に優等生っぽく振る舞うと、あとでいじめられたりする。しかし、そこは神父たちの支えもあって、ジュリアンは立ち直り、悪友たちともつるむようになって、煙草を吸ってみたりエロ本をのぞいたりと、普通の少年のように神学校での生活を楽しんでいたようだった。
そしてあるとき、生徒一人ひとりが足を洗われる儀式(?)が行われる。真っ白の服を来た男の子たちが横一列に座って、一人ずつ、足に水をかけられて、そこにキスをしてもらうのだった(画像4)。学校で一番地位のある神父、エンジェルは、以前から気になっていたジュリアンの前に来ると、ほかの生徒にするよりも、緊張した様子で、ジュリアンの足を洗い、キスをするのだった。
エンジェル神父は、完全にジュリアンのことが気に入ってしまったようだった。少年たちがシャワーを浴びるているのを見回りするときでも、ジュリアンのところで足を止めて、眺めているし(画像5)、外でサッカーをしている子供たちの中でも特にジュリアンを目で追う。彼がシュートを決めた時に、エンジェル神父の心も射抜かれたようだった。
ついにジュリアンは、エンジェル神父から声がかかり、彼の住む屋敷に招待される。学校で寝泊まりするのではなくて、しばらくの間、広くて豪華な屋敷で生活できるのだった。これは慣習のようなもので、神父に選ばれた生徒は屋敷で寝泊まりし、彼の世話係をするのだった。エンジェル神父は、ジュリアンに「私はなぜ君を選んだのかわかるか。君の足を洗った時、神が…」と小難しいことを言っていたが、神父たちも大変で、個人的に気に入ったという理由で一緒に過ごす少年を決めてはいけなかった。あくまで宗教上の理由をこじつけて、選出しなければならないのだった。ただ、実際のそのときのエンジェル神父の気持ちは分からない。
生活を共にしていくうちに、二人の関係は変な感じになり始める。もちろん、神に服従している身の彼らの間に恋愛感情などあってはならない。エンジェルもジュリアンもそのことは分かっていた。ただ、エンジェル神父は他の生徒よりもジュリアンをひいきしてしまうし、友達と雑談し笑っている彼を、遠くの方からにんまりと眺めているのだ。
ジュリアンにとっても、選んでもらったことがうれしくて、エンジェル神父にとって自分が一番の存在ででありたかったようだった。しかしあるとき、エンジェル神父が女の人といちゃいちゃしている様子を目撃してしまう。その時こそは、神父の悪口を言うことは重い罪だと分かってはいても、エンジェル神父に口答えをしてしまうのだった。
エンジェル神父は、膀胱に痛みを感じる持病のようなものを持っていた。夜中に、エンジェル神父がその痛みで悶えていると、それを聞いたジュリアンは、ベッドから起き上がり、エンジェル神父の部屋に行く。「紅茶を持ってきましょうか。」とか、心配そうに言う。エンジェル神父は「これは神が私に与えた試練だ」とか、ジュリアンに話して聞かせる。そうしてるうちに、エンジェル神父は明かりを消して、こっちにきてくれと、ジュリアンをベッドの中に入れるのだった。そこから真っ暗で何も見えなかったが、出産するときのように苦しそうな一定のリズムで呻き声が聞こえてくる。ジュリアンがエンジェル神父の股間を癒してあげていたのだと思う。そこが一番親密な場面だった。
次第に、二人の関係も終わりに近づいてくる。ジュリアンは、エンジェル神父にもらった神の言葉が書かれたカードを、自分だけにくれたものだと思っていて、大切にしていたのだが、他の子ももらっていることに気づいてしまう。ついには、「僕とだけ一緒にいて」と言うが、エンジェル神父は「一人を特別扱いすることはできない」と言う。
そしてまた、例の足に水をかける儀式の時期になる。エンジェル神父はいつも通り、新しく入ってきた男の子たちの前に行き、次なる子を選ばなければならなかった。その儀式の際に、エンジェル神父が涙を流したところで映画が終わる。ジュリアンと離れるのがさびしかったのか。
2014/10/16
2014/07/15
ぼくの小さな恋人たち (1974)
Mes petites amoureuses (1974) ★★★★★
2年ほど前にレンタルVHSで一度見て、ずっと記憶に残っていたこの映画。いつかDVDを買っておこうと思っていて、ついに購入(中古で約8000円)。なぜこれほど気に入ったのかわからないが、間違いなく主役のマルタン・ロエブの存在は大きいだろう。
少し影のある少年、ダニエル(Martin Loeb)を中心に、ほんとに何も起こらない日常風景が淡々と描かれているだけである。特に、人物が歩くシーンが多くて、本編の3割はただ歩いているシーンだけを見せられたのではないかと思われるほど。それだけ単調で、どうしてこのシーンにこれだけの時間をかけている?と間延びしているようにも思われる。
ただ、そんな場面の中に、なにか美しさみたいなものがある。もちろん、主役のダニエルもかっこいいのだが、彼を取り巻く人間関係が、どこか冷めていて、静かで、ほとんどキャラクター性が分からず、普通の映画でこれをやってしまったら、面白味の何もない駄作になってしまうだろう。ただ、この映画の人物たちは、それでもうまく存在感を出しているように思う。無駄口を一切たたかずに、それでも横一列になって街を歩いていく様子は、ファッションショーか何かのウォーキングを見ているよう。
ダニエルは、ロボットのように、何を考えているのか不明な少年である。頭脳明晰で、試験の成績がよく、新聞に載るほど。しかし「何がしたいの?」と聞かれても、「別に何もない」といい、「卒業したら、僕はお母さんの所へいくらしい」と、自分のこれからの生活なのにもかかわらず「らしい」で片づけてしまっている。彼の父親はすでに亡くなっているか、どこかへ消えてしまっていて、母親は、別の国の男と不倫の関係にあった。中学を卒業すると同時に、近所の幼馴染とお別れをし、母親と男と町に移り、3人で暮らすことになる。収入がなく、せっかく奨学金で高校に通えるのにもかかわらず、町工場で自転車の整備などをする仕事に就かされる。それでも、ダニエルの様子を見ていると、高校に行けないことを悔しがっている様子はあまりない。
ほんとに、どこかの国の、知らない町の、なんでもない情景を見ているだけなのだが、謎の違和感のようなものが画面から伝わってきて、ぼうっと眺めているだけでも心地よい。それこそ、人物たちの歩く様子であったり、ダニエルの、我関せずの振る舞いであったり、一緒にいる仲間のよそよそしさが、その違和感を原因なのではないかと思う。人間的な交流が、ダニエルの女の子へ対する好奇心以外に見られない。
新しい町に引っ越してからのダニエルには、何もなかった。母親は1日中仕事だし、おじさんは畑の仕事をしているとは言っているが、奥さんがいて、どこで何をしているのかわからない。高校へ通って、出来の良い頭を発揮する場もない。そんなダニエルが唯一意識したことが、町の女の子なのであった。後半になるにつれて、ダニエルの関心は女の子で一杯になっていくようだった。男女の出会いの場として知られる並木道をふらふらしたり、なんとなくベンチに座って、目の前のカップルがキスをしているのを眺めている。映画館の薄暗い中で、キスをしている男女を見かけたら、ダニエルも近くに座っている女の子の頭に顔を近づける。そして、思い切ってキスを試してみるのだった。修理工として店の番をしているときも、街行く女性たちを眺め、この時間帯にはあの女性が来る、毎回違う男と一緒にいる女性がいる、という感じで町の女性たちを観察したおす。
終盤になると、青年たち5人ぐらいが一緒になって、全力で女の子をナンパしに行く流れになってくる。ダニエルも、そんな年上の仲間たちと一緒になり、異常なほどにすました様子で、カフェのテラスから女の子を眺めているのだった。慣れないたばこをふかし、足を組んで、男たち全員が同じ視線を女の子たちにおくるのだった。
そして、いよいよダニエルが1人の女の子を捕まえるラストシーン!これまでの違和感が最高潮に達して、不気味過ぎるほどにひたすら歩く!草木が生い茂る中に一本通った長い道を、ダニエルともう一人の男が一緒になって、前の二人の女の子を追いかけて行くのだ。先頭を行く二人の女の子、追いかけるダニエルと隣のもう一人の男、そして抜け駆けを許した残りの男たち三組による、女の子争奪徒競走である。少しぐらい早歩きになっていいものだが、全員が決して焦ることなく、あくまで澄ました様子で道を進んでいく。 それで、ようやくダニエルが女の子に追いついて、唇へのキスを勝ち取るのだった。その瞬間の二人を、ぐるっと回るように映すカメラ。風にそよぎながら、日に照らされ金色に輝く草木。そして、あきらめた残りの男たちがUターンをして、来た道を戻っていく様子。完璧!
ただ、そのまま恋が実るということにはならず、おそらくダニエルと女の子は、その後しばらく会うことはなかっただろう。その女の子とキスをした段階でのダニエルは、まだまだ幼かった。しかし、夏休みに入り、生まれ育った町に戻ってきた彼は、確実に成長していた。女の子を追いかけた新しい街での仲間たちは、ダニエルよりも年上で背が高くて、ダニエルはいろいろと学ぶ側だった。ところが、もともと居た町に戻ってきて、幼馴染たちと再会すると、彼らはダニエルよりも背が低く、ほんの子供のように見えた。そしてダニエルは躊躇なく、一人の女の子を後ろから抱きしめるのだった。そういうところからも、彼の心持の変化が見て取れる。
2年ほど前にレンタルVHSで一度見て、ずっと記憶に残っていたこの映画。いつかDVDを買っておこうと思っていて、ついに購入(中古で約8000円)。なぜこれほど気に入ったのかわからないが、間違いなく主役のマルタン・ロエブの存在は大きいだろう。
少し影のある少年、ダニエル(Martin Loeb)を中心に、ほんとに何も起こらない日常風景が淡々と描かれているだけである。特に、人物が歩くシーンが多くて、本編の3割はただ歩いているシーンだけを見せられたのではないかと思われるほど。それだけ単調で、どうしてこのシーンにこれだけの時間をかけている?と間延びしているようにも思われる。
ただ、そんな場面の中に、なにか美しさみたいなものがある。もちろん、主役のダニエルもかっこいいのだが、彼を取り巻く人間関係が、どこか冷めていて、静かで、ほとんどキャラクター性が分からず、普通の映画でこれをやってしまったら、面白味の何もない駄作になってしまうだろう。ただ、この映画の人物たちは、それでもうまく存在感を出しているように思う。無駄口を一切たたかずに、それでも横一列になって街を歩いていく様子は、ファッションショーか何かのウォーキングを見ているよう。
ダニエルは、ロボットのように、何を考えているのか不明な少年である。頭脳明晰で、試験の成績がよく、新聞に載るほど。しかし「何がしたいの?」と聞かれても、「別に何もない」といい、「卒業したら、僕はお母さんの所へいくらしい」と、自分のこれからの生活なのにもかかわらず「らしい」で片づけてしまっている。彼の父親はすでに亡くなっているか、どこかへ消えてしまっていて、母親は、別の国の男と不倫の関係にあった。中学を卒業すると同時に、近所の幼馴染とお別れをし、母親と男と町に移り、3人で暮らすことになる。収入がなく、せっかく奨学金で高校に通えるのにもかかわらず、町工場で自転車の整備などをする仕事に就かされる。それでも、ダニエルの様子を見ていると、高校に行けないことを悔しがっている様子はあまりない。
ほんとに、どこかの国の、知らない町の、なんでもない情景を見ているだけなのだが、謎の違和感のようなものが画面から伝わってきて、ぼうっと眺めているだけでも心地よい。それこそ、人物たちの歩く様子であったり、ダニエルの、我関せずの振る舞いであったり、一緒にいる仲間のよそよそしさが、その違和感を原因なのではないかと思う。人間的な交流が、ダニエルの女の子へ対する好奇心以外に見られない。
新しい町に引っ越してからのダニエルには、何もなかった。母親は1日中仕事だし、おじさんは畑の仕事をしているとは言っているが、奥さんがいて、どこで何をしているのかわからない。高校へ通って、出来の良い頭を発揮する場もない。そんなダニエルが唯一意識したことが、町の女の子なのであった。後半になるにつれて、ダニエルの関心は女の子で一杯になっていくようだった。男女の出会いの場として知られる並木道をふらふらしたり、なんとなくベンチに座って、目の前のカップルがキスをしているのを眺めている。映画館の薄暗い中で、キスをしている男女を見かけたら、ダニエルも近くに座っている女の子の頭に顔を近づける。そして、思い切ってキスを試してみるのだった。修理工として店の番をしているときも、街行く女性たちを眺め、この時間帯にはあの女性が来る、毎回違う男と一緒にいる女性がいる、という感じで町の女性たちを観察したおす。
終盤になると、青年たち5人ぐらいが一緒になって、全力で女の子をナンパしに行く流れになってくる。ダニエルも、そんな年上の仲間たちと一緒になり、異常なほどにすました様子で、カフェのテラスから女の子を眺めているのだった。慣れないたばこをふかし、足を組んで、男たち全員が同じ視線を女の子たちにおくるのだった。
そして、いよいよダニエルが1人の女の子を捕まえるラストシーン!これまでの違和感が最高潮に達して、不気味過ぎるほどにひたすら歩く!草木が生い茂る中に一本通った長い道を、ダニエルともう一人の男が一緒になって、前の二人の女の子を追いかけて行くのだ。先頭を行く二人の女の子、追いかけるダニエルと隣のもう一人の男、そして抜け駆けを許した残りの男たち三組による、女の子争奪徒競走である。少しぐらい早歩きになっていいものだが、全員が決して焦ることなく、あくまで澄ました様子で道を進んでいく。 それで、ようやくダニエルが女の子に追いついて、唇へのキスを勝ち取るのだった。その瞬間の二人を、ぐるっと回るように映すカメラ。風にそよぎながら、日に照らされ金色に輝く草木。そして、あきらめた残りの男たちがUターンをして、来た道を戻っていく様子。完璧!
ただ、そのまま恋が実るということにはならず、おそらくダニエルと女の子は、その後しばらく会うことはなかっただろう。その女の子とキスをした段階でのダニエルは、まだまだ幼かった。しかし、夏休みに入り、生まれ育った町に戻ってきた彼は、確実に成長していた。女の子を追いかけた新しい街での仲間たちは、ダニエルよりも年上で背が高くて、ダニエルはいろいろと学ぶ側だった。ところが、もともと居た町に戻ってきて、幼馴染たちと再会すると、彼らはダニエルよりも背が低く、ほんの子供のように見えた。そしてダニエルは躊躇なく、一人の女の子を後ろから抱きしめるのだった。そういうところからも、彼の心持の変化が見て取れる。
リアリティのダンス (2013)
La danza de la realidad (2013) ★★★★★
ホドロフスキー監督23年ぶりの新作。こんなにスパンが空いたのは単純にお金が溜まらなかったからだそう。そして現在、次回作の「フアン・ソロ」を製作中。
主役のブロンティス・ホドロフスキーは、1970年制作「エル・トポ」で、裸で馬にまたがっていたあの男の子。今回も全裸になっている。父親の映画に出るたびに、チ○コを披露させられている。完成することなく終わった「ホドロフスキーのDUNE」の時は、武道家の先生のもとで数年間訓練を受けさせられた挙句、その成果を披露する場が突然失われてしまった。映画のためなら片腕を失ってもいいという父親に振り回されている。
ホドロフスキー自身の幼少期も、権威的な父親の言うことは絶対で、逆らうことが出来なかったことが映画を観ているとわかる。「リアリティのダンス」は、ホドロフスキー自身の辛い少年時代を、慰めの意味も込めて作られた。劇中でホドロフスキーは、長髪の金髪の少年として登場してくる。父はそんな彼のことが気に入らず、オカマだとか言って、幼児虐待ではないかというぐらいに厳しく接する。バコバコと殴り、「もっと叩いてください!」と言わせて、歯が折れてしまうまでやめない。そのあと彼を歯医者に連れて行って治療をするのだが、父親は医者に「麻酔なしで治療してください(あとでフランス産のワインを贈るから)」と言って、医者と父親とで、ホドロフスキー少年をいじめる。印象的だったのは、足の裏くすぐり拷問である。「男なら絶対笑うな!」と、ホドロフスキーを裸にし、鳥の羽で足とか脇とか鼻をこちょこちょするのである。何の意味があったのか。
前半はほとんど、苦しむホドロフスキー少年を観ていた感がある。斬新で面白いと思った場面は、少年たちによる集団オナニーの場面。学校の授業か何かで海岸に来ていた生徒たちの中の、ある男の子が「シコシコしようぜ」と周りの子たちを誘い、人目のつかないところに移動する。ホドロフスキー少年もついていく。それで10人ぐらいでシコシコし始めるのだが、直接的には映っていなかった。そのかわり一人一人が、チ○コの形を再現した木の棒を持って、それをこすり始めるのである。みんなシンプルな形をした木の棒なのだが、ホドロフスキーの棒だけ、先の方が膨らんでいた。それを見た周りの少年たちは「キノコだ!」と大笑いし、深く傷ついたホドロフスキーは海に身投げ自殺をしようとする。実際に彼は割礼をされていたので、先が膨らんだ木の棒だったというわけだった。
少年期のホドロフスキーを演じたのは、イェレミアス・ハースコヴィッツ(Jeremias Herskovits)。まつ毛が長くて唇が赤くて、金色のかつらを被り、鮮やかな水色の服を着た彼は、人形のように可愛かった。ところで、ホドロフスキー監督の過去の作品は、汚い画質のものしか観たことがなく、その映像の粗さと、いわゆるカルトと呼ばれるぶっとんだ内容とが良い感じにマッチしていて、そこが気に入っていたということもあった。今回綺麗な映像になってくるとどうだろうかと思っていたが、そんなふうに人形のように綺麗な男の子を観られたのでとても満足。カラフルな街並み、真新しい派手やかな衣装、それらが鮮明な映像で観られることで、現実離れした不思議な世界観を生み出していて良かったと思う。
笑える場面も多い。ホドロフスキーの母であるサラは、セリフをすべて高い声で歌うように話す。実際にホドロフスキーの母親はオペラ歌手だったらしい。旦那とセックスをしているときの喘ぎ声も、高い声で、合唱する前の音程合わせのような感じで、ハァハァハァー♪と繰り返し言うので、笑わずにはいられなかった。サラは何度も服を脱ぎ、巨大な肉体とおっぱいを惜しみなくさらしている。
そして、最も衝撃的な場面であろう、サラの放尿のシーン。ペストに侵されて、肌もただれた状態になっている旦那に、おしっこをかけるのである。なんと次の瞬間には、旦那の体は元通りに回復しているのだ。購入したパンフレットに、その場面についてホドロフスキーが言及している。多くの宗教の中で尿には人を癒す力があり、神に祈りをささげ、川のように放尿することは、彼女の一番大きな愛なのだとか。
とにかく、いくら語っても意味のないぐらい映像から受けるインパクトが大きい。サラやハイメの股間にはぼかしが入っているのだが、なぜか最後だけハイメの股間にぼかしが入っていなかった。ホドロフスキーの身内が3人出演していて、あくまで自分のために、自分の人生を見つめなおして作られたような映画。最後まで見終わった時にはなぜだが癒された。
ホドロフスキー監督23年ぶりの新作。こんなにスパンが空いたのは単純にお金が溜まらなかったからだそう。そして現在、次回作の「フアン・ソロ」を製作中。
主役のブロンティス・ホドロフスキーは、1970年制作「エル・トポ」で、裸で馬にまたがっていたあの男の子。今回も全裸になっている。父親の映画に出るたびに、チ○コを披露させられている。完成することなく終わった「ホドロフスキーのDUNE」の時は、武道家の先生のもとで数年間訓練を受けさせられた挙句、その成果を披露する場が突然失われてしまった。映画のためなら片腕を失ってもいいという父親に振り回されている。
ホドロフスキー自身の幼少期も、権威的な父親の言うことは絶対で、逆らうことが出来なかったことが映画を観ているとわかる。「リアリティのダンス」は、ホドロフスキー自身の辛い少年時代を、慰めの意味も込めて作られた。劇中でホドロフスキーは、長髪の金髪の少年として登場してくる。父はそんな彼のことが気に入らず、オカマだとか言って、幼児虐待ではないかというぐらいに厳しく接する。バコバコと殴り、「もっと叩いてください!」と言わせて、歯が折れてしまうまでやめない。そのあと彼を歯医者に連れて行って治療をするのだが、父親は医者に「麻酔なしで治療してください(あとでフランス産のワインを贈るから)」と言って、医者と父親とで、ホドロフスキー少年をいじめる。印象的だったのは、足の裏くすぐり拷問である。「男なら絶対笑うな!」と、ホドロフスキーを裸にし、鳥の羽で足とか脇とか鼻をこちょこちょするのである。何の意味があったのか。
前半はほとんど、苦しむホドロフスキー少年を観ていた感がある。斬新で面白いと思った場面は、少年たちによる集団オナニーの場面。学校の授業か何かで海岸に来ていた生徒たちの中の、ある男の子が「シコシコしようぜ」と周りの子たちを誘い、人目のつかないところに移動する。ホドロフスキー少年もついていく。それで10人ぐらいでシコシコし始めるのだが、直接的には映っていなかった。そのかわり一人一人が、チ○コの形を再現した木の棒を持って、それをこすり始めるのである。みんなシンプルな形をした木の棒なのだが、ホドロフスキーの棒だけ、先の方が膨らんでいた。それを見た周りの少年たちは「キノコだ!」と大笑いし、深く傷ついたホドロフスキーは海に身投げ自殺をしようとする。実際に彼は割礼をされていたので、先が膨らんだ木の棒だったというわけだった。
少年期のホドロフスキーを演じたのは、イェレミアス・ハースコヴィッツ(Jeremias Herskovits)。まつ毛が長くて唇が赤くて、金色のかつらを被り、鮮やかな水色の服を着た彼は、人形のように可愛かった。ところで、ホドロフスキー監督の過去の作品は、汚い画質のものしか観たことがなく、その映像の粗さと、いわゆるカルトと呼ばれるぶっとんだ内容とが良い感じにマッチしていて、そこが気に入っていたということもあった。今回綺麗な映像になってくるとどうだろうかと思っていたが、そんなふうに人形のように綺麗な男の子を観られたのでとても満足。カラフルな街並み、真新しい派手やかな衣装、それらが鮮明な映像で観られることで、現実離れした不思議な世界観を生み出していて良かったと思う。
笑える場面も多い。ホドロフスキーの母であるサラは、セリフをすべて高い声で歌うように話す。実際にホドロフスキーの母親はオペラ歌手だったらしい。旦那とセックスをしているときの喘ぎ声も、高い声で、合唱する前の音程合わせのような感じで、ハァハァハァー♪と繰り返し言うので、笑わずにはいられなかった。サラは何度も服を脱ぎ、巨大な肉体とおっぱいを惜しみなくさらしている。
そして、最も衝撃的な場面であろう、サラの放尿のシーン。ペストに侵されて、肌もただれた状態になっている旦那に、おしっこをかけるのである。なんと次の瞬間には、旦那の体は元通りに回復しているのだ。購入したパンフレットに、その場面についてホドロフスキーが言及している。多くの宗教の中で尿には人を癒す力があり、神に祈りをささげ、川のように放尿することは、彼女の一番大きな愛なのだとか。
とにかく、いくら語っても意味のないぐらい映像から受けるインパクトが大きい。サラやハイメの股間にはぼかしが入っているのだが、なぜか最後だけハイメの股間にぼかしが入っていなかった。ホドロフスキーの身内が3人出演していて、あくまで自分のために、自分の人生を見つめなおして作られたような映画。最後まで見終わった時にはなぜだが癒された。
2014/06/23
テルレスの青春 (1966)
Der junge Törless (1966) ★★★★★
60年代製作の寄宿舎もの。これだけでそそられる。「寄宿舎 悲しみの天使」の美的感覚と同性愛的雰囲気はそのままに、そこに「蠅の王」の子供たちだけで隔離された状況に生まれるサディズム感を取り入れたような内容。上映時間90分。間延びすることなくコンパクトにまとめられた傑作!現時点ではDVDにはなっていない。
監督は「ブリキの太鼓」のフォルカー・シュレンドルフ。思い返してみても意味不明なあの映画。気持ち悪くなるけどまた観てみたい。そんな映画を撮った監督なので、良くも悪くもこの「テルレスの青春」も一筋縄ではいかない。
主役のテルレス(Mathieu Carrière)。学識があって普段から詩などを書きためている少年。端正な身のこなし。口にすることが哲学的でよくわからない。無理数の存在が許せないらしく、数学の先生へ質問攻めし困らせる。そして彼の周りで起こったいじめの状況を、その無理数の話と関連付けて、教授たちのところへ抗議しに行く。おかしな奴だとしか思われず、こんなところやめてやると、寄宿舎を出ていくのだった。
子供たちの関係がおかしくなったきっかけは些細なことだった。少しどんくさい小太りのバジーニが、友達のお金をこっそり盗んでしまうのだ。周りの抜け目のない少年たちはこの事件を見逃さなかった。ここぞとばかりにバジーニに付け入って脅し始める。そして彼らの好奇心を満たすために、バジーニをおもちゃのようにするのだった。もともと、バジーニがお金を盗んでしまったのも、彼らが仕向けた罠だったように思う。
少年たちは、いろんなことをバジーニに強要する。繰り返していくうちに、彼らも飽きてくるし、バジーニ本人も、いじめられることに慣れてくる。そうなったら、また新しい一歩踏み込んだことをバジーニで試すといった、負の連鎖が繰り返されていくのだった。彼らがバジーニを連れて行くのは薄暗い屋根裏部屋。ろうそくの明かりがゆらゆらする中で、バジーニは裸で歴史の教科書の残酷なページを朗読させられたり、催眠術を掛けられて痛みの感じない体にさせられる。腕に熱した針を刺してもぴくりともしない。
いじめっ子の側にいたテルレスだったが、バジーニを助けたいと思い始める。ただ、バジーニの肩を持つと今度は自分までいじめの対象になりかねない。そこでテルレスがとった行動は、何も言わずただ傍観することだった。この寄宿舎で起こったテルレスを含む子供たちの構図は、ユダヤ虐殺を見て見ぬふりをしたドイツ人のエゴイズムに重なるのだそう。この映画の原作は、ヒトラー政権下で発行された「若いテルレスの惑い」。映画でのいじめられっこバジーニはどんくさいが、原作のいじめられっこは美少年らしい。「ベニスに死す」のヴィスコンティが映画化を企画しただけはある。ただテルレスとバジーニがどちらも美少年だったら微妙で、バジーニがあんなんだから妙にリアルでより残酷な内容に思える。
クールで冷静なテルレスだったが、寄宿舎にいる数少ない大人の女性の部屋に行ったときだけは、恥ずかしそうにしていた。
60年代製作の寄宿舎もの。これだけでそそられる。「寄宿舎 悲しみの天使」の美的感覚と同性愛的雰囲気はそのままに、そこに「蠅の王」の子供たちだけで隔離された状況に生まれるサディズム感を取り入れたような内容。上映時間90分。間延びすることなくコンパクトにまとめられた傑作!現時点ではDVDにはなっていない。
監督は「ブリキの太鼓」のフォルカー・シュレンドルフ。思い返してみても意味不明なあの映画。気持ち悪くなるけどまた観てみたい。そんな映画を撮った監督なので、良くも悪くもこの「テルレスの青春」も一筋縄ではいかない。
主役のテルレス(Mathieu Carrière)。学識があって普段から詩などを書きためている少年。端正な身のこなし。口にすることが哲学的でよくわからない。無理数の存在が許せないらしく、数学の先生へ質問攻めし困らせる。そして彼の周りで起こったいじめの状況を、その無理数の話と関連付けて、教授たちのところへ抗議しに行く。おかしな奴だとしか思われず、こんなところやめてやると、寄宿舎を出ていくのだった。
子供たちの関係がおかしくなったきっかけは些細なことだった。少しどんくさい小太りのバジーニが、友達のお金をこっそり盗んでしまうのだ。周りの抜け目のない少年たちはこの事件を見逃さなかった。ここぞとばかりにバジーニに付け入って脅し始める。そして彼らの好奇心を満たすために、バジーニをおもちゃのようにするのだった。もともと、バジーニがお金を盗んでしまったのも、彼らが仕向けた罠だったように思う。
少年たちは、いろんなことをバジーニに強要する。繰り返していくうちに、彼らも飽きてくるし、バジーニ本人も、いじめられることに慣れてくる。そうなったら、また新しい一歩踏み込んだことをバジーニで試すといった、負の連鎖が繰り返されていくのだった。彼らがバジーニを連れて行くのは薄暗い屋根裏部屋。ろうそくの明かりがゆらゆらする中で、バジーニは裸で歴史の教科書の残酷なページを朗読させられたり、催眠術を掛けられて痛みの感じない体にさせられる。腕に熱した針を刺してもぴくりともしない。
いじめっ子の側にいたテルレスだったが、バジーニを助けたいと思い始める。ただ、バジーニの肩を持つと今度は自分までいじめの対象になりかねない。そこでテルレスがとった行動は、何も言わずただ傍観することだった。この寄宿舎で起こったテルレスを含む子供たちの構図は、ユダヤ虐殺を見て見ぬふりをしたドイツ人のエゴイズムに重なるのだそう。この映画の原作は、ヒトラー政権下で発行された「若いテルレスの惑い」。映画でのいじめられっこバジーニはどんくさいが、原作のいじめられっこは美少年らしい。「ベニスに死す」のヴィスコンティが映画化を企画しただけはある。ただテルレスとバジーニがどちらも美少年だったら微妙で、バジーニがあんなんだから妙にリアルでより残酷な内容に思える。
クールで冷静なテルレスだったが、寄宿舎にいる数少ない大人の女性の部屋に行ったときだけは、恥ずかしそうにしていた。
2014/01/27
MUD -マッド- (2012)
Mud (2012) ★★★★★
チラシなどでは現代版「スタンド・バイ・ミー」と言われているようだった。2人の少年、エリスとネック、そして指名手配犯のマッドとのひと夏の出来事。「未来を生きる君たちへ」という映画に似ている。淡々と進んでいくが、注意深く見ていないと登場人物の気持ちの変化を見逃してしまうような映画。
エリスとネックの二人は、少し離れた小島で、身を隠しているマッドという男と出会う。人を殺して逃亡しているのだった。いろいろ話をしているうちに、マッドはエリスに向かって「昔の俺を見ているみたいだ」という。
マッドとエリスだけが、まっすぐに愛と向き合っていた。マッドの殺人の動機は、大好きなジュニパーを助けるためだった。エリスも、学校の気になる女の子が男に言い寄られていたら、その男に向かって口よりもまず手が出る。そんな二人はお互いに共通するものを感じて、指名手配されているにもかかわらず、協力し合ったのだと思う。
ただ、マッドとエリス以外の男たちは、愛に対して少し淡泊な見方をしている。自分の気持ちに嘘をつかず突き進んでいくエリスを見て、はっきりとは言わないが、遠回しにエリスを諭していた。そんな言葉には耳を傾けないエリスだったが、実際に女を愛した男たちは不幸になっているようだった。エリスの両親も離婚寸前。そんな頼れるものがないときに支えになったのが、愛のために手まで汚したマッドだった。エリスは人を本気で愛したいと願う。メイパールと付き合うことになり、お互いに楽しそうにしているのだが、結局メイパールにとって、エリスはお遊び相手だった。別の男といるメイパールにひどいことを言われた時は、さすがに強気なエリスでも相当ショックを受ける。胸が痛くなるシーンだった。
マッドに関してもそうで、ジュニパーに会いたいという一心で、空腹を我慢しながら身を隠し、脱出のためのボートの修理やらをする。ジュニパーはマッドが献身的に尽くしてきた女である。エリスとネックの少年2人も、マッドに応えて危険を顧みずジュニパーに手紙を渡しに行ったりする。しっかり逃亡の計画もジュニパーに伝えて、準備万全で臨んだ決行当日、ジュニパーが来ない。どこかのバーで別の男と一緒にいるのだった。
そのことを知ったマッドは、子供の頃から尽くしてきた彼女をあきらめる。一人でどこかに行ってしまおうと計画を変更した。そんなマッドを見て、エリスは「嘘つき!」とマッドを罵倒する。エリスにとって、マッドは人を愛し続けることができる証明みたいな存在だった。マッドにだけは裏切られたくなかったのだろう。
結局、一番思ったことは、女心はわからないということ。あと、マッドとトムの父子が浮世離れしているというか、少年たちに大事なことを残して、2人とも消えてしまうあたりなんか、神様のような存在だなと思った。砂浜についた足跡が十字架の形をしているところなんかも。
チラシなどでは現代版「スタンド・バイ・ミー」と言われているようだった。2人の少年、エリスとネック、そして指名手配犯のマッドとのひと夏の出来事。「未来を生きる君たちへ」という映画に似ている。淡々と進んでいくが、注意深く見ていないと登場人物の気持ちの変化を見逃してしまうような映画。
エリスとネックの二人は、少し離れた小島で、身を隠しているマッドという男と出会う。人を殺して逃亡しているのだった。いろいろ話をしているうちに、マッドはエリスに向かって「昔の俺を見ているみたいだ」という。
マッドとエリスだけが、まっすぐに愛と向き合っていた。マッドの殺人の動機は、大好きなジュニパーを助けるためだった。エリスも、学校の気になる女の子が男に言い寄られていたら、その男に向かって口よりもまず手が出る。そんな二人はお互いに共通するものを感じて、指名手配されているにもかかわらず、協力し合ったのだと思う。
ただ、マッドとエリス以外の男たちは、愛に対して少し淡泊な見方をしている。自分の気持ちに嘘をつかず突き進んでいくエリスを見て、はっきりとは言わないが、遠回しにエリスを諭していた。そんな言葉には耳を傾けないエリスだったが、実際に女を愛した男たちは不幸になっているようだった。エリスの両親も離婚寸前。そんな頼れるものがないときに支えになったのが、愛のために手まで汚したマッドだった。エリスは人を本気で愛したいと願う。メイパールと付き合うことになり、お互いに楽しそうにしているのだが、結局メイパールにとって、エリスはお遊び相手だった。別の男といるメイパールにひどいことを言われた時は、さすがに強気なエリスでも相当ショックを受ける。胸が痛くなるシーンだった。
マッドに関してもそうで、ジュニパーに会いたいという一心で、空腹を我慢しながら身を隠し、脱出のためのボートの修理やらをする。ジュニパーはマッドが献身的に尽くしてきた女である。エリスとネックの少年2人も、マッドに応えて危険を顧みずジュニパーに手紙を渡しに行ったりする。しっかり逃亡の計画もジュニパーに伝えて、準備万全で臨んだ決行当日、ジュニパーが来ない。どこかのバーで別の男と一緒にいるのだった。
そのことを知ったマッドは、子供の頃から尽くしてきた彼女をあきらめる。一人でどこかに行ってしまおうと計画を変更した。そんなマッドを見て、エリスは「嘘つき!」とマッドを罵倒する。エリスにとって、マッドは人を愛し続けることができる証明みたいな存在だった。マッドにだけは裏切られたくなかったのだろう。
結局、一番思ったことは、女心はわからないということ。あと、マッドとトムの父子が浮世離れしているというか、少年たちに大事なことを残して、2人とも消えてしまうあたりなんか、神様のような存在だなと思った。砂浜についた足跡が十字架の形をしているところなんかも。
2013/12/10
孤独な天使たち (2012)
Io e te (2012) ★★★★★
原題を直訳すると「あなたと私」。登場人物はロレンツォ(Jacopo Olmo Antinori)とオリビアの2人だけであとはほとんど出てこない。2人とも世間から疎外されているような少年少女。中学生のロレンツォはクラスのみんなとうまくやっていけていない。オリビアは、薬物依存症で苦しんでいる。そんな2人が地下室にこもり始めてから、出ていくまでを描いている。
何が起きるというわけではないが、観ているだけでじんわりする映画だった。若い人たちの方が共感できる内容だと思う。ロレンツォは、学校でもipodで音楽ばかり聞いているが、彼の気持ちがわかる気がする。周りから聞こえてくるおしゃべりとか、もろもろの雑音をシャットアウトしたい。聞いている曲も自分と好みが合っていた。ザ・キュアとか、一昔前のロック。今すごい勢いのあるバンド、ミューズの数ある曲の中でも、代表作からは少しずれた、”Sing for Absolution”を好むあたりとか。
ロレンツォは正直言って不細工。「孤独な天使たち」なんていう邦題がつけられているし、そのタイトル通り繊細な内容だし、美少年を起用すれば、「僕のエリ」みたいな、受けのいい作品になりそうだと思った。ただ、ロレンツォ役にあの俳優を選んだところに監督のセンスの良さを感じた。実際あんなふうに引きこもる少年に綺麗な顔をした子はいないだろう。ロレンツォは、ニキビだらけで、うっすらひげもはえていて、アリなんかを飼っている。イケメンなはずがない。ただそうは言っても、ロレンツォさえもう少し美少年だったら最高なのになと思いながら観ていた。
一緒に地下室で過ごす、オリビアという女の子。こちらは、ロレンツォと違って、はきはきしていて自己主張が激しいタイプ。薬に手を出してしまった不良少女。ロレンツォとオリビアは、一緒なクラスにいても交わることのないタイプ同士である。そんな全くタイプの違う少年少女が、しばらく一緒に過ごすというのだから、2人の間に恋愛感情的なものが芽生えていけば、ストーリーとしては面白くなりそうである。しかし、ロレンツォとオリビアは腹違いではあるが姉弟であるということでもって、安易にそんなことにはしない。あくまで現実的。こういったところもさすがだと思った。
ロレンツォがたまに地下を出て街に行かなければならない場面がある。その時に人目に付かないように、フードを深めにかぶってうつむき加減で歩いていくのだが、その様子からはものすごい孤独感が漂っていた。ただ良く考えると、この映画の中でロレンツォはスキー教室をさぼったことが親にばれないように終始コソコソしているだけのことである。どうしてあれほど追い込まれるのか。そんな感じをフィルムに収めているというのがすごいと思う。
原題を直訳すると「あなたと私」。登場人物はロレンツォ(Jacopo Olmo Antinori)とオリビアの2人だけであとはほとんど出てこない。2人とも世間から疎外されているような少年少女。中学生のロレンツォはクラスのみんなとうまくやっていけていない。オリビアは、薬物依存症で苦しんでいる。そんな2人が地下室にこもり始めてから、出ていくまでを描いている。
何が起きるというわけではないが、観ているだけでじんわりする映画だった。若い人たちの方が共感できる内容だと思う。ロレンツォは、学校でもipodで音楽ばかり聞いているが、彼の気持ちがわかる気がする。周りから聞こえてくるおしゃべりとか、もろもろの雑音をシャットアウトしたい。聞いている曲も自分と好みが合っていた。ザ・キュアとか、一昔前のロック。今すごい勢いのあるバンド、ミューズの数ある曲の中でも、代表作からは少しずれた、”Sing for Absolution”を好むあたりとか。
ロレンツォは正直言って不細工。「孤独な天使たち」なんていう邦題がつけられているし、そのタイトル通り繊細な内容だし、美少年を起用すれば、「僕のエリ」みたいな、受けのいい作品になりそうだと思った。ただ、ロレンツォ役にあの俳優を選んだところに監督のセンスの良さを感じた。実際あんなふうに引きこもる少年に綺麗な顔をした子はいないだろう。ロレンツォは、ニキビだらけで、うっすらひげもはえていて、アリなんかを飼っている。イケメンなはずがない。ただそうは言っても、ロレンツォさえもう少し美少年だったら最高なのになと思いながら観ていた。
一緒に地下室で過ごす、オリビアという女の子。こちらは、ロレンツォと違って、はきはきしていて自己主張が激しいタイプ。薬に手を出してしまった不良少女。ロレンツォとオリビアは、一緒なクラスにいても交わることのないタイプ同士である。そんな全くタイプの違う少年少女が、しばらく一緒に過ごすというのだから、2人の間に恋愛感情的なものが芽生えていけば、ストーリーとしては面白くなりそうである。しかし、ロレンツォとオリビアは腹違いではあるが姉弟であるということでもって、安易にそんなことにはしない。あくまで現実的。こういったところもさすがだと思った。
ロレンツォがたまに地下を出て街に行かなければならない場面がある。その時に人目に付かないように、フードを深めにかぶってうつむき加減で歩いていくのだが、その様子からはものすごい孤独感が漂っていた。ただ良く考えると、この映画の中でロレンツォはスキー教室をさぼったことが親にばれないように終始コソコソしているだけのことである。どうしてあれほど追い込まれるのか。そんな感じをフィルムに収めているというのがすごいと思う。
2013/07/15
黄色い老犬 (1957)
Old Yeller (1957) ★★★★★
自然豊かなテキサスで自給自足の生活を送る一家。子供たちはお金を見たことがないほど文明からかけ離れた生活をしていた。あるとき父親は牛を売るために遠くまで出かけることになった。残された母親と兄のトラビス(Tommy Kirk)弟のアーリス(Kevin Corcoran)だけで生活していくのはとても大変。そんな3人のもとに一匹の犬がやってくる。
「仔鹿物語」のように自然の中で生活していく厳しさを実感した。こういう映画は勉強になったりする。たとえば毒をもった獣にかまれたときは、近くの鹿を仕留めて内臓を取り出し、噛まれたところにあてておくと、毒を抜く効果があるらしい。狂犬病にかかった獣はすぐに殺してしまわないと、人間にも感染してしまう。
一家の大黒柱である父親がいないことはかなりの痛手。長男のトラビスが代わりに家族を守っていかなければならない。弟のアーリスは元気はとてもいいけれど、まだまだ子供。初めこそトラビスは、突然やってきた黄色くて醜い犬のことを受け入れられない。そこでイエラーのことを試すために、イエラーの前に肉をぶら下げて、一晩おいておいた。翌朝肉がなくなっていたら、射殺するつもりだった。朝になると銃を構えてイエラーのところへ行くが、何事もない肉の前にちょこんと座っていた。
イエラーは大活躍で、熊に襲われそうになっているアーリスを助けたり、穀物をあさるアライグマを追い払ってくれたりする。しかしついにイエラーの飼い主がやってくる。この人がまた良い人で、アーリアがいつもポケットに入れているトカゲと、イエラーを交換という条件を出してくれる。受け取ったトカゲはあとでそっと逃がしてやるのだった。
オープニングでは、イエラーの歌が流れて、エンディングでは、イエラーが残した子孫の歌が流れる。世代は交代していくのだった。
自然豊かなテキサスで自給自足の生活を送る一家。子供たちはお金を見たことがないほど文明からかけ離れた生活をしていた。あるとき父親は牛を売るために遠くまで出かけることになった。残された母親と兄のトラビス(Tommy Kirk)弟のアーリス(Kevin Corcoran)だけで生活していくのはとても大変。そんな3人のもとに一匹の犬がやってくる。
「仔鹿物語」のように自然の中で生活していく厳しさを実感した。こういう映画は勉強になったりする。たとえば毒をもった獣にかまれたときは、近くの鹿を仕留めて内臓を取り出し、噛まれたところにあてておくと、毒を抜く効果があるらしい。狂犬病にかかった獣はすぐに殺してしまわないと、人間にも感染してしまう。
一家の大黒柱である父親がいないことはかなりの痛手。長男のトラビスが代わりに家族を守っていかなければならない。弟のアーリスは元気はとてもいいけれど、まだまだ子供。初めこそトラビスは、突然やってきた黄色くて醜い犬のことを受け入れられない。そこでイエラーのことを試すために、イエラーの前に肉をぶら下げて、一晩おいておいた。翌朝肉がなくなっていたら、射殺するつもりだった。朝になると銃を構えてイエラーのところへ行くが、何事もない肉の前にちょこんと座っていた。
イエラーは大活躍で、熊に襲われそうになっているアーリスを助けたり、穀物をあさるアライグマを追い払ってくれたりする。しかしついにイエラーの飼い主がやってくる。この人がまた良い人で、アーリアがいつもポケットに入れているトカゲと、イエラーを交換という条件を出してくれる。受け取ったトカゲはあとでそっと逃がしてやるのだった。
オープニングでは、イエラーの歌が流れて、エンディングでは、イエラーが残した子孫の歌が流れる。世代は交代していくのだった。
2013/07/14
天使の詩 (1966)
Incompreso (1966) ★★★★★
「ウインター・ローズ」と同じ話だった。見始めるまで知らなかった。母親を亡くした兄弟とその父親の話。ヘンリー・トーマス君(「E.T.」の男の子)が主役の「ウインター・ローズ (1984)」の方を先に観ていた。こちらは劇場公開はされたものの日本ではVHSにもDVDにもなっていない。
弟のミーロ(Simone Giannozzi)はイライラさせられるぐらい純粋な男の子だった。兄のアンドレ(Stefano Colagrande)はどんなにミーロがしつこくてもやさしくしてあげる。不思議なぐらいだった。彼らの母親は死んでしまった。アンドレだけがそのことを知っていて、ミーロは母親は旅行に行ったのだと思っている。
父親とアンドレの関係は見ていてもどかしい。アンドレが何かをしても裏目にでてしまう。父親の誕生日プレゼントを町まで買いに行くが、ミーロと危険な2人乗りをしていたところを見られてしまい、父親を怒らせてしまう。せっかくのサプライズが台無しになってしまう。父親をびっくりさせようと、朝早くおきて、こっそり車を洗おうとするアンドレだったが、来るなというのにミーロもついてきて、邪魔をする。ミーロはわざと自分に水をかけて風邪をこじらせる。そのことでアンドレが責められる。楽しみだった父親とのローマ行きがなくなってしまう。
美しい豪邸に住む天使のような2人。それだけ見られただけでも満足だった。1966年制作とは思えないぐらい映像がきれいだった(ブルーレイも出ている)。着ているものも上品で、柔道着姿も可愛かった。ミーロがわがまますぎるのが駄目だと思った。
「ウインター・ローズ」と同じ話だった。見始めるまで知らなかった。母親を亡くした兄弟とその父親の話。ヘンリー・トーマス君(「E.T.」の男の子)が主役の「ウインター・ローズ (1984)」の方を先に観ていた。こちらは劇場公開はされたものの日本ではVHSにもDVDにもなっていない。
弟のミーロ(Simone Giannozzi)はイライラさせられるぐらい純粋な男の子だった。兄のアンドレ(Stefano Colagrande)はどんなにミーロがしつこくてもやさしくしてあげる。不思議なぐらいだった。彼らの母親は死んでしまった。アンドレだけがそのことを知っていて、ミーロは母親は旅行に行ったのだと思っている。
父親とアンドレの関係は見ていてもどかしい。アンドレが何かをしても裏目にでてしまう。父親の誕生日プレゼントを町まで買いに行くが、ミーロと危険な2人乗りをしていたところを見られてしまい、父親を怒らせてしまう。せっかくのサプライズが台無しになってしまう。父親をびっくりさせようと、朝早くおきて、こっそり車を洗おうとするアンドレだったが、来るなというのにミーロもついてきて、邪魔をする。ミーロはわざと自分に水をかけて風邪をこじらせる。そのことでアンドレが責められる。楽しみだった父親とのローマ行きがなくなってしまう。
美しい豪邸に住む天使のような2人。それだけ見られただけでも満足だった。1966年制作とは思えないぐらい映像がきれいだった(ブルーレイも出ている)。着ているものも上品で、柔道着姿も可愛かった。ミーロがわがまますぎるのが駄目だと思った。
2013/06/29
トムとトーマス (2002)
Tom & Thomas (2002) ★★★★★
トムとトーマスの2人をアーロン・ジョンソン君が演じている。内容がどうのこうのの前に、この子がものすごく可愛い。今は結婚していて、アーロン・テイラー・ジョンソンと名前が変わっている。こんなに可愛い子がもう結婚しているのか、と10年前のこの映画を観ながらしみじみした。彼は、子役時代でお終いの俳優ではなく、最近の作品にも出演していて、「キック・アス」では主役級だった。さえないオタク青年を演じていて、ポルノを見ながらオナニーしていた。こんなに可愛い子が・・・と、ここでも寂しさを覚えた。
アーロン君の魅力たっぷりだった。表情やセリフの言い回しなど流石で、今でも活躍していることがうなずけた。映画初出演だということでますます才能を感じた。ただ、可愛い雰囲気の割には、人身売買がテーマとなっていて、意外とえぐい。麻酔を打たれて、動物たちと一緒に飛行機に乗せられる。トムの背中には、孤児院で打たれた鞭の痕が、痛々しく残っている。
トムとトーマスが出会う場面が良かった。一瞬で意気投合し、街をころころと駆け回っていく姿にはほのぼのした。それから誕生日パーティー。2人いることがばれてはいけないのでトーマスは宇宙服をかぶって出て行く。ラストもそうだが、ここもスリリングだった。
数年前に初めてこの映画を観たときは、子供向けなのかなと、あまり期待せずに見たが、思った以上に面白くて感動したことを覚えている。今回も間違いなく面白かった。お勧めできる一本。
トムとトーマスの2人をアーロン・ジョンソン君が演じている。内容がどうのこうのの前に、この子がものすごく可愛い。今は結婚していて、アーロン・テイラー・ジョンソンと名前が変わっている。こんなに可愛い子がもう結婚しているのか、と10年前のこの映画を観ながらしみじみした。彼は、子役時代でお終いの俳優ではなく、最近の作品にも出演していて、「キック・アス」では主役級だった。さえないオタク青年を演じていて、ポルノを見ながらオナニーしていた。こんなに可愛い子が・・・と、ここでも寂しさを覚えた。
アーロン君の魅力たっぷりだった。表情やセリフの言い回しなど流石で、今でも活躍していることがうなずけた。映画初出演だということでますます才能を感じた。ただ、可愛い雰囲気の割には、人身売買がテーマとなっていて、意外とえぐい。麻酔を打たれて、動物たちと一緒に飛行機に乗せられる。トムの背中には、孤児院で打たれた鞭の痕が、痛々しく残っている。
トムとトーマスが出会う場面が良かった。一瞬で意気投合し、街をころころと駆け回っていく姿にはほのぼのした。それから誕生日パーティー。2人いることがばれてはいけないのでトーマスは宇宙服をかぶって出て行く。ラストもそうだが、ここもスリリングだった。
数年前に初めてこの映画を観たときは、子供向けなのかなと、あまり期待せずに見たが、思った以上に面白くて感動したことを覚えている。今回も間違いなく面白かった。お勧めできる一本。
2013/06/02
父、帰る (2003)
Vozvrashchenie (2003) ★★★★★
この映画はDVDで何度も観ていて昨晩また観た。ふとした時に味わいたくなる雰囲気。広々とした自然、さびしい街、母親の疲れ切った表情、など。なんといっても2人の兄弟の気持ちがびんびんと伝わってくる。この種の子供の心情が伝わってくる作品は他に観たことがない。自分が子供の頃の、なんとなく思い出したくない記憶をつつかれる感じ。今回は映画を観ながらポイントになるところをメモしていった。まずは「お父さんが帰ってきているわよ」と聞かされた時の2人の反応。どうなるのだろうと、ぞわぞわする。そして予想のつかない、不安ばかりの旅が始まる。
兄 アンドレイ(Vladimir Garin)
兄と弟の性格の違いもしっかり現れる。アンドレイはなんとなく情けない。父親と初めての食事の場面、父親が2人にお祝いを兼ねてワインを飲むよう言う。父親に認められたいアンドレイはほとんど飲んだことのない赤ワインを嬉しそうに、むしろ媚びるように飲む。「もう一杯」とまで言うが、「もういい」と父親に制される。アンドレイの思惑は上手く行かなかった。ここで、自分が父親のために変な気を使っているということが相手に察せられてしまう。また、就寝時の弟イワンとの会話の「すごい筋肉だったな」や、父親から財布を預けられた時の「すげえ入ってる」など、父親を凄い人物だと思いたいことがうかがえた。
弟 イワン(Ivan Dobronravov)
兄とは違い、弟のイワン(Ivan Dobronravov)は、父親を受け入れられないというか、なんだこいつ、とまるで得体のしれないものと接しているかのようだった。「パパ」と呼ばない。父親がいないところでは「あいつ」呼ばわり。斧で切り刻まれるかもしれないと思っている。父親に忠実であろうとするアンドレイの傍ら、自分の意見を曲げない。お腹がすいていても、父親に言われるがまま入ったレストランでの食事はとらない。情けない兄貴を言いくるめてしまう。さっぱりしていて好感の持てる少年だった。
父親。
父親については一見すると威厳があって立派な父親のように思える。旅の途中には息子たちに教えられることは教えていく。しかし話が進むにつれて、息子たちに対して臆病になっているような場面がちらほら現れる。実際のところは、この映画では不完全な父親を表現しているのだと思う。弟のイワンが、父親に向かって本音をぶつける場面がある。探り探りな父と子のやりとりの中、この時のイワンの発言がそんな関係を最初に吹っ切ったのだった。「どうして今更帰ってきたんだ。あんたなしで上手く行ってたんだ。・・・」。これに対する父親の第一声は「お母さんが、提案して」だった。そのあとに「俺もそうしたいと思って」と付け加える。父親からしてみても、息子たちとの距離感をつかめていないことが浮き彫りになった場面。また、アンドレイがなにかジョークを言い父親は笑うという緊張がほぐれる場面がある。お互いの距離が縮まりそうになったそのとたん、父親の方から会話を遮ってしまう。最後まで乗らない、乗れない父親だった。
いろいろ書いてみたが、感じたことを文章にするのは難しい。
この映画の緊張感の継続は凄いと思う。最初から最後まで目が離せない。劇中に数回、スコールみたいな雨を降らして3人をびしょ濡れにするのが効果的。一生懸命運んだ父親を失ってからの、写真のスライドショーはむなしすぎた。
この映画はDVDで何度も観ていて昨晩また観た。ふとした時に味わいたくなる雰囲気。広々とした自然、さびしい街、母親の疲れ切った表情、など。なんといっても2人の兄弟の気持ちがびんびんと伝わってくる。この種の子供の心情が伝わってくる作品は他に観たことがない。自分が子供の頃の、なんとなく思い出したくない記憶をつつかれる感じ。今回は映画を観ながらポイントになるところをメモしていった。まずは「お父さんが帰ってきているわよ」と聞かされた時の2人の反応。どうなるのだろうと、ぞわぞわする。そして予想のつかない、不安ばかりの旅が始まる。
兄 アンドレイ(Vladimir Garin)
兄と弟の性格の違いもしっかり現れる。アンドレイはなんとなく情けない。父親と初めての食事の場面、父親が2人にお祝いを兼ねてワインを飲むよう言う。父親に認められたいアンドレイはほとんど飲んだことのない赤ワインを嬉しそうに、むしろ媚びるように飲む。「もう一杯」とまで言うが、「もういい」と父親に制される。アンドレイの思惑は上手く行かなかった。ここで、自分が父親のために変な気を使っているということが相手に察せられてしまう。また、就寝時の弟イワンとの会話の「すごい筋肉だったな」や、父親から財布を預けられた時の「すげえ入ってる」など、父親を凄い人物だと思いたいことがうかがえた。
弟 イワン(Ivan Dobronravov)
兄とは違い、弟のイワン(Ivan Dobronravov)は、父親を受け入れられないというか、なんだこいつ、とまるで得体のしれないものと接しているかのようだった。「パパ」と呼ばない。父親がいないところでは「あいつ」呼ばわり。斧で切り刻まれるかもしれないと思っている。父親に忠実であろうとするアンドレイの傍ら、自分の意見を曲げない。お腹がすいていても、父親に言われるがまま入ったレストランでの食事はとらない。情けない兄貴を言いくるめてしまう。さっぱりしていて好感の持てる少年だった。
父親。
父親については一見すると威厳があって立派な父親のように思える。旅の途中には息子たちに教えられることは教えていく。しかし話が進むにつれて、息子たちに対して臆病になっているような場面がちらほら現れる。実際のところは、この映画では不完全な父親を表現しているのだと思う。弟のイワンが、父親に向かって本音をぶつける場面がある。探り探りな父と子のやりとりの中、この時のイワンの発言がそんな関係を最初に吹っ切ったのだった。「どうして今更帰ってきたんだ。あんたなしで上手く行ってたんだ。・・・」。これに対する父親の第一声は「お母さんが、提案して」だった。そのあとに「俺もそうしたいと思って」と付け加える。父親からしてみても、息子たちとの距離感をつかめていないことが浮き彫りになった場面。また、アンドレイがなにかジョークを言い父親は笑うという緊張がほぐれる場面がある。お互いの距離が縮まりそうになったそのとたん、父親の方から会話を遮ってしまう。最後まで乗らない、乗れない父親だった。
いろいろ書いてみたが、感じたことを文章にするのは難しい。
この映画の緊張感の継続は凄いと思う。最初から最後まで目が離せない。劇中に数回、スコールみたいな雨を降らして3人をびしょ濡れにするのが効果的。一生懸命運んだ父親を失ってからの、写真のスライドショーはむなしすぎた。
2013/05/04
ノース・シー 初恋の海辺 (2011)
Noordzee, Texas (2011) ★★★★★
同性愛ものであるが、しっとりとしたテーマソングや繊細な描写など全体的にさわやかだった。恋愛の対象が同性というだけでそれ以外は普通のラブストーリーと変わらない。ただし話の展開は厳しめ。ゲイに生まれた人の過酷さが伝わってきた作品。
主役のピムの幼少期をBen Van den Heuvelが、少年期をJelle Florizooneが演じている。どっちの子も可愛かった。幼年期のピムは冒頭の10分ほどしか出てこない。成長した後のピム役は声変わり済みだった。上半身もがっしりしていた。どちらのピムもお尻を出していた。
同性愛者として生まれたピムは、人を好きになるも裏切られてばかり。その辺は普通の人にはわからない辛さだと思った。ピムにとって本気で好きになった相手が、単に興味本位で近づいてきただけであったり、いくら優しくしてもらっても恋愛の対象にはならなかったりと。ピムのことを好きになった女子も辛い。いくらアプローチしてもピムを振り向かせることは出来ない。この映画の人間関係は、誰が悪いというわけでもなく上手くいかないようになっていた。
ピムの控え目な笑顔が良かった。好きな人と目が合った時など、にこっとしていて可愛かった。好きな男子が目の前で射精して、それを拭きとったハンカチを受け取ったときでも、にこっとする。変態とかそんな感じではなく、純粋に嬉しそうな表情だった。カミソリに着いたシェービングクリームを拭きとった紙、普通だったらゴミ箱に行くようなものでも、ピムにしてみれば宝箱にしまうほどのものだった。終盤に近付くにつれてピムは哀愁漂う切ない表情を浮かべるようになっていき、そこが魅力的でもあった。
一応ラストはハッピーエンドで終わるが、ピムのその後を考えると再び裏切られるように思えてならない。15歳の誕生日を迎えたピムのこれからを思うと切なくなる。
同性愛ものであるが、しっとりとしたテーマソングや繊細な描写など全体的にさわやかだった。恋愛の対象が同性というだけでそれ以外は普通のラブストーリーと変わらない。ただし話の展開は厳しめ。ゲイに生まれた人の過酷さが伝わってきた作品。
主役のピムの幼少期をBen Van den Heuvelが、少年期をJelle Florizooneが演じている。どっちの子も可愛かった。幼年期のピムは冒頭の10分ほどしか出てこない。成長した後のピム役は声変わり済みだった。上半身もがっしりしていた。どちらのピムもお尻を出していた。
同性愛者として生まれたピムは、人を好きになるも裏切られてばかり。その辺は普通の人にはわからない辛さだと思った。ピムにとって本気で好きになった相手が、単に興味本位で近づいてきただけであったり、いくら優しくしてもらっても恋愛の対象にはならなかったりと。ピムのことを好きになった女子も辛い。いくらアプローチしてもピムを振り向かせることは出来ない。この映画の人間関係は、誰が悪いというわけでもなく上手くいかないようになっていた。
ピムの控え目な笑顔が良かった。好きな人と目が合った時など、にこっとしていて可愛かった。好きな男子が目の前で射精して、それを拭きとったハンカチを受け取ったときでも、にこっとする。変態とかそんな感じではなく、純粋に嬉しそうな表情だった。カミソリに着いたシェービングクリームを拭きとった紙、普通だったらゴミ箱に行くようなものでも、ピムにしてみれば宝箱にしまうほどのものだった。終盤に近付くにつれてピムは哀愁漂う切ない表情を浮かべるようになっていき、そこが魅力的でもあった。
一応ラストはハッピーエンドで終わるが、ピムのその後を考えると再び裏切られるように思えてならない。15歳の誕生日を迎えたピムのこれからを思うと切なくなる。
2013/04/12
トーマスと隼の王様 (2000) <未>
Král sokolu (2000) ★★★★★
主演はブラノ・ホリチェク(Brano Holícek)君。可愛いとかっこいいを兼ね備えた王子様のような美少年。この映画では、動物を愛し、思い通りに操ることのできるトーマス少年を演じている。
小高い丘に位置する農場で育ったトーマスは、山頂にそびえる城に住むフェルミナ姫と、ひょんなことから知り合うようになる。城内での馬の暴走によってトーマスはその時泥だらけだったが、フェルミナ姫にダンスエスコートされ、すっかり彼女に惚れてしまうのだった。しかし、フェルミナ姫にはフィアンセのオストリクがいた。そのことを知ったトーマスは、草原の中にうずくまり、涙を流す。それでもトーマスはひがむことなくフェルミナとオストリクを結びつける愛のキューピット役をこなす。
トーマスは動物を操る能力を使って人々を困惑させる。獲物を捕らえるように調教された犬を役立たずにしてしまったり、相手の服の中をネズミに這いまわさせたり。どの場面もコミカルに描いていて可愛らしかった。
トーマスの着ている服のサイズが体格より大きめで、ちらちらと肩や胸元がはだけていた。首筋から鎖骨にかけてのラインがとても綺麗で見とれてしまうほどだった。城に出向いた時に受け取った高貴な服を着ることによって、ブラノ君の姿はイメージ通りの「王子様」となった。泥だらけになるシーンでは、いくら汚れていても、美しい上品な顔立ちは損なわれないことを実感した。映画の内容よりブラノ君のブロンドの髪、緑色の目や表情ばかりに気を取られた。寝るときには上半身裸になるのだが、お腹まわりなどは少しぽっちゃり気味だった。野宿する際も上半身裸になっていた。起き上がってそのまま水浴びする場面では本当に寒そうにしている様子が伝わってきた。
主演はブラノ・ホリチェク(Brano Holícek)君。可愛いとかっこいいを兼ね備えた王子様のような美少年。この映画では、動物を愛し、思い通りに操ることのできるトーマス少年を演じている。
小高い丘に位置する農場で育ったトーマスは、山頂にそびえる城に住むフェルミナ姫と、ひょんなことから知り合うようになる。城内での馬の暴走によってトーマスはその時泥だらけだったが、フェルミナ姫にダンスエスコートされ、すっかり彼女に惚れてしまうのだった。しかし、フェルミナ姫にはフィアンセのオストリクがいた。そのことを知ったトーマスは、草原の中にうずくまり、涙を流す。それでもトーマスはひがむことなくフェルミナとオストリクを結びつける愛のキューピット役をこなす。
トーマスは動物を操る能力を使って人々を困惑させる。獲物を捕らえるように調教された犬を役立たずにしてしまったり、相手の服の中をネズミに這いまわさせたり。どの場面もコミカルに描いていて可愛らしかった。
トーマスの着ている服のサイズが体格より大きめで、ちらちらと肩や胸元がはだけていた。首筋から鎖骨にかけてのラインがとても綺麗で見とれてしまうほどだった。城に出向いた時に受け取った高貴な服を着ることによって、ブラノ君の姿はイメージ通りの「王子様」となった。泥だらけになるシーンでは、いくら汚れていても、美しい上品な顔立ちは損なわれないことを実感した。映画の内容よりブラノ君のブロンドの髪、緑色の目や表情ばかりに気を取られた。寝るときには上半身裸になるのだが、お腹まわりなどは少しぽっちゃり気味だった。野宿する際も上半身裸になっていた。起き上がってそのまま水浴びする場面では本当に寒そうにしている様子が伝わってきた。
2013/04/06
瞳は静かに (2009)
Andrés no quiere dormir la siesta (2009) ★★★★★
1970年代のアルゼンチンを舞台にしたサスペンス。主役を演じたコンラッド・バレンスエラ(Conrado Valenzuela)君を見るための映画と言って良いと思う。彼でなければおそらく退屈していた。映画予告に「アンドレスの深い瞳はアナ・トレントの子供時代を思わせる。」という文句がつけられていたが本当にその通り。「思わせる」というより、単純にコンラッド君の見た目が子役時代のアナ・トレントと似ている。「ミツバチのささやき」を意識したようなショットもあった。
とにかく、場面によって変化していくアンドレスの表情は見逃せない。髪型や服装などにもこだわりを感じた。ちらっと見せる大人っぽい表情の割には年齢が低く、彼の全身が収まるショットでは、顔つきと体型のギャップに違和感を覚えることもあった。幼児体型というのか、丸っこくて愛くるしい。美少年を表現する際の「女の子と見間違うほどの…」という言い回しは、アンドレスのことを言うのにぴったりの表現である。
アンドレスの学校の友だち、脇役の男の子たちも、特に可愛い子を選んでいるのだと思う。そんな子供たちがはしゃぐ空地の中でも、アンドレスは特に際立っていた。短い半ズボン、ビー玉遊び、運動靴を素足で履くところなど、時代を感じる。
物事がはっきり説明されず、注意深くストーリーを追う必要があったりと、サスペンスらしい作品だった。アンドレスの母親が事故で亡くなってからというもの、周りの大人の言うことなすことが不気味だった。理解できない表情の変化であったり、隣人との目配せ、探り探りしたぎこちない会話など。アンドレス自身も、母親が死んだという実感が湧いていなかったのか、嘆いている様子はほとんどなかった。
先ほど見終わったばかりだが、正直理解できないことが多い(特に答えはないのかもしれないが)。最初にも述べたが、コンラッド君が魅力を振りまいてくれていなければ、ちゃんとしたレビューを書ける状態ではない。ただ作品自体の完成度としてはいまいちな印象ではある。
1970年代のアルゼンチンを舞台にしたサスペンス。主役を演じたコンラッド・バレンスエラ(Conrado Valenzuela)君を見るための映画と言って良いと思う。彼でなければおそらく退屈していた。映画予告に「アンドレスの深い瞳はアナ・トレントの子供時代を思わせる。」という文句がつけられていたが本当にその通り。「思わせる」というより、単純にコンラッド君の見た目が子役時代のアナ・トレントと似ている。「ミツバチのささやき」を意識したようなショットもあった。
とにかく、場面によって変化していくアンドレスの表情は見逃せない。髪型や服装などにもこだわりを感じた。ちらっと見せる大人っぽい表情の割には年齢が低く、彼の全身が収まるショットでは、顔つきと体型のギャップに違和感を覚えることもあった。幼児体型というのか、丸っこくて愛くるしい。美少年を表現する際の「女の子と見間違うほどの…」という言い回しは、アンドレスのことを言うのにぴったりの表現である。
アンドレスの学校の友だち、脇役の男の子たちも、特に可愛い子を選んでいるのだと思う。そんな子供たちがはしゃぐ空地の中でも、アンドレスは特に際立っていた。短い半ズボン、ビー玉遊び、運動靴を素足で履くところなど、時代を感じる。
物事がはっきり説明されず、注意深くストーリーを追う必要があったりと、サスペンスらしい作品だった。アンドレスの母親が事故で亡くなってからというもの、周りの大人の言うことなすことが不気味だった。理解できない表情の変化であったり、隣人との目配せ、探り探りしたぎこちない会話など。アンドレス自身も、母親が死んだという実感が湧いていなかったのか、嘆いている様子はほとんどなかった。
先ほど見終わったばかりだが、正直理解できないことが多い(特に答えはないのかもしれないが)。最初にも述べたが、コンラッド君が魅力を振りまいてくれていなければ、ちゃんとしたレビューを書ける状態ではない。ただ作品自体の完成度としてはいまいちな印象ではある。
2013/04/05
少年と自転車 (2011)
Le gamin au vélo (2011) ★★★★★
「少年と自転車」というタイトルからは、話の内容が全く見えてこない。想像していたものとはだいぶ異なっていた。ここ最近で鑑賞したフランス映画、「君と歩く世界」「遥かな町」と、テンポであったり、雰囲気などが似ている。基本的にどれも暗い。この感じがフランス映画の特徴なのかな。
じっくりと、全編にわたってシリル(Thomas Doret)のことを描いていた。彼は無責任な親のせいでホームでの生活を余儀なくされている不幸な少年だった。散髪屋のサマンサだけが彼を受け入れ、最後まで裏切らない。好感のもてる女性だった。
先のことが予測しづらい内容だった。開始30分ほどでシリルと父親は再会を果たすのだが、「会いに来るな、連絡もしてくるな」と父親はシリルを拒絶する。その時点で、これ以上父子の関係が改善されることはないのだと思った。見ている側に残されているものというか、シリルにとっての希望としては、面倒を見てくれるサマンサの存在と自転車だけ。そんな大事な自転車も、何度か盗まれる(鍵をかけとけばいいのにと思った)。自転車泥棒を全力で追いかけていくシリルの姿を見ていて、「駆ける少年」のアミルを思い出した。
シリルはギャングのリーダー格の男に見込まれ、良くされるが、男の目的は何なのだろうと思った。ゲイなのかなとも思った(こんな風に考えてしまうのです)。ギャングたちに仲よくしてもらえれば、シリルも少しは孤独を感じずに済むし、それでもいいかなと思ったが、やはり利用されていただけであった。犯罪に加担させられ、警察に追われる。
最後のシーンまでどうなるか分からなくて、引き付けられた。木から落ちたシリルが、起き上がるかそうでないかで、まあハッピーエンド、もしくは超バッドエンドのどちらにでも運ぶことが出来たと思う。
「少年と自転車」というタイトルからは、話の内容が全く見えてこない。想像していたものとはだいぶ異なっていた。ここ最近で鑑賞したフランス映画、「君と歩く世界」「遥かな町」と、テンポであったり、雰囲気などが似ている。基本的にどれも暗い。この感じがフランス映画の特徴なのかな。
じっくりと、全編にわたってシリル(Thomas Doret)のことを描いていた。彼は無責任な親のせいでホームでの生活を余儀なくされている不幸な少年だった。散髪屋のサマンサだけが彼を受け入れ、最後まで裏切らない。好感のもてる女性だった。
先のことが予測しづらい内容だった。開始30分ほどでシリルと父親は再会を果たすのだが、「会いに来るな、連絡もしてくるな」と父親はシリルを拒絶する。その時点で、これ以上父子の関係が改善されることはないのだと思った。見ている側に残されているものというか、シリルにとっての希望としては、面倒を見てくれるサマンサの存在と自転車だけ。そんな大事な自転車も、何度か盗まれる(鍵をかけとけばいいのにと思った)。自転車泥棒を全力で追いかけていくシリルの姿を見ていて、「駆ける少年」のアミルを思い出した。
シリルはギャングのリーダー格の男に見込まれ、良くされるが、男の目的は何なのだろうと思った。ゲイなのかなとも思った(こんな風に考えてしまうのです)。ギャングたちに仲よくしてもらえれば、シリルも少しは孤独を感じずに済むし、それでもいいかなと思ったが、やはり利用されていただけであった。犯罪に加担させられ、警察に追われる。
最後のシーンまでどうなるか分からなくて、引き付けられた。木から落ちたシリルが、起き上がるかそうでないかで、まあハッピーエンド、もしくは超バッドエンドのどちらにでも運ぶことが出来たと思う。
2013/03/28
スコットと朝食を (2007)
Breakfast with Scot (2007) ★★★★★
何度も観た映画のうちの1つ。自分の中ではおなじみの作品で、今更ながらの記事化といった感じである。
作品解説(以下引用)
http://tokyo-lgff.org/2008/prog/scot.html
元プロホッケー選手でスポーツキャスターに転身したエリック(トム カヴァナフ)と弁護士サム(ベン シェンクマン)は筋金入りのゲイカップル。サムは、ひょんなことから11歳の孤児の少年スコット(ノア バーネット)を一時的に引き取ることに…。『スコットと朝食を』は、「仮想」家族が根を下ろし、紆余曲折を経て本当の家族のような温かな姿となるストーリーを展開する現代版コメディー。
本作品は単なるコメディーでは終わらず、プロスポーツの世界における同性愛やゲイのヒーローを受けいれたがらない社会についても扱っている。ナショナルホッケーリーグ(NHL)は、『スコットと朝食を』に対して支持を表明し、作品中にNHLやトロントメープルリーフの名称やロゴを使用する権利を認めたのだ。
主役のスコットを演じたノア・ベネット(Noah Bernett)君の可愛さに尽きる。彼がエリックとサムのもとに持ってきたものと言えば、幸運ブレスレットや、ピンクのクチナシ(ハンドクリーム)など、男の子らしいものは1つもなかった。夜中にひとりで、自分のために、クリスマスキャロルを歌う。授業中に朗読させられた物語に入り込み、感極まって泣いてしまう。スコットにとっては自然なことなのだろうが、帰り際にクラスのやんちゃものにキスをしようとし、全力で拒否される姿には、思わず声を出して笑ってしまった。
3人ともゲイではあるが、エリックとサムは傍から見れば完全なノーマル(スコットだけが明らかなオネエ)。ゲイらしい描写は全くなく、ラストにエリックとサムが軽く口づけするぐらいなので、同性愛が苦手という方でも楽しめると思う。男同士のキスを見て朗らかな気持ちにさせられるなんて、めったにないことだろう。
この映画の好きな所、テンポよく繰り出される笑い、分かりやすいストーリー、エリックとサムの軽快な会話、可愛い子供たち、など。他人とは違うことを全く気にしないスコットを見ていると、ほのぼのと優しい気持ちにさせられる。この映画に文句をつけるとしたら、観られる機会が限られているということぐらい。
何度も観た映画のうちの1つ。自分の中ではおなじみの作品で、今更ながらの記事化といった感じである。
作品解説(以下引用)
http://tokyo-lgff.org/2008/prog/scot.html
元プロホッケー選手でスポーツキャスターに転身したエリック(トム カヴァナフ)と弁護士サム(ベン シェンクマン)は筋金入りのゲイカップル。サムは、ひょんなことから11歳の孤児の少年スコット(ノア バーネット)を一時的に引き取ることに…。『スコットと朝食を』は、「仮想」家族が根を下ろし、紆余曲折を経て本当の家族のような温かな姿となるストーリーを展開する現代版コメディー。
本作品は単なるコメディーでは終わらず、プロスポーツの世界における同性愛やゲイのヒーローを受けいれたがらない社会についても扱っている。ナショナルホッケーリーグ(NHL)は、『スコットと朝食を』に対して支持を表明し、作品中にNHLやトロントメープルリーフの名称やロゴを使用する権利を認めたのだ。
プロデューサーのポール・ブラウンは、こう語る。「画期的で面白く、それでいて重要なメッセージを伝えられるような映画を製作できてわくわくしているよ。マイケル・ダウニングのすばらしい小説をもとに、とても身近なストーリーに仕上げることができたと思う。新進気鋭の監督による11歳の女王をキャスティングに迎えたこの最新映画からはたくさんの楽しみが得られると思う。」(引用ここまで)
3人ともゲイではあるが、エリックとサムは傍から見れば完全なノーマル(スコットだけが明らかなオネエ)。ゲイらしい描写は全くなく、ラストにエリックとサムが軽く口づけするぐらいなので、同性愛が苦手という方でも楽しめると思う。男同士のキスを見て朗らかな気持ちにさせられるなんて、めったにないことだろう。
この映画の好きな所、テンポよく繰り出される笑い、分かりやすいストーリー、エリックとサムの軽快な会話、可愛い子供たち、など。他人とは違うことを全く気にしないスコットを見ていると、ほのぼのと優しい気持ちにさせられる。この映画に文句をつけるとしたら、観られる機会が限られているということぐらい。
2013/03/08
ゲイブリエル (2012) <未>
Vuelve (2012) ★★★★★
「En tu ausencia」「Brecha」のイバン・ノエル監督の作品。前作の2つはかなりツボにはまっていたので、この映画にも期待していたのだが、パッケージの雰囲気ががらりと変わって、ジャンルもスリラーに分類されているということで、前作で得たような感動はないだろうと思っていた。
しかし、センスのいい映像や音楽は健在で、根本的なテーマは変わっていなかった。グロテスクな表現が少し増え、スリラーになってはいるが、「En tu ausencia」「Brecha」と並ぶ傑作だと思う。
今回の「Vuelve」は、他の作品に比べても特に主役の少年の魅力をたっぷり描いていると思う。セリフが多いわけではないのだが、きれいな目と、そして体で、独特な雰囲気を作り出していた。ヌードシーンもあったりして日本で公開になることはないと思う。むやみにエロいという感じではなくてちゃんと美しく映し出されてはいた。
修道院に住んでいるゲイブリエル(Renzo Sabelli)という少年が主役。映画が始まり、最初に表示されるのが「Cotard Syndrome」という精神病の説明文で、それのおかげで先の展開がものすごく気になった。つまり「つかみ」が完ぺきだった。この病気についてネットで調べてみても日本語のページが見つからないのだが、自分が死んでいるように錯覚する病気っぽい。その病にかかっていたゲイブリエルの母親(ラストで母親でないことが明らかになる)が自殺して以来、ゲイブリエルは混乱していく。そしておなじみの衝撃的なラスト。森の中で血まみれになる姿は耽美的。
「Brecha」と全く同じシーンがあった。鼻血が流れているのにそのままにしている少年に「血が流れているぞ」と男が指摘すると、少年は「わかっているよ。いつも流したままにするんだ」と答える。「どうして拭かないんだ?」と聞かれると、「It makes me feel cleaner.」と答える。(すっきりするんだよ(?))監督はなぜこのやり取りを2つの映画にわたって撮ったのか不思議。
「En tu ausencia」「Brecha」のイバン・ノエル監督の作品。前作の2つはかなりツボにはまっていたので、この映画にも期待していたのだが、パッケージの雰囲気ががらりと変わって、ジャンルもスリラーに分類されているということで、前作で得たような感動はないだろうと思っていた。
しかし、センスのいい映像や音楽は健在で、根本的なテーマは変わっていなかった。グロテスクな表現が少し増え、スリラーになってはいるが、「En tu ausencia」「Brecha」と並ぶ傑作だと思う。
今回の「Vuelve」は、他の作品に比べても特に主役の少年の魅力をたっぷり描いていると思う。セリフが多いわけではないのだが、きれいな目と、そして体で、独特な雰囲気を作り出していた。ヌードシーンもあったりして日本で公開になることはないと思う。むやみにエロいという感じではなくてちゃんと美しく映し出されてはいた。
修道院に住んでいるゲイブリエル(Renzo Sabelli)という少年が主役。映画が始まり、最初に表示されるのが「Cotard Syndrome」という精神病の説明文で、それのおかげで先の展開がものすごく気になった。つまり「つかみ」が完ぺきだった。この病気についてネットで調べてみても日本語のページが見つからないのだが、自分が死んでいるように錯覚する病気っぽい。その病にかかっていたゲイブリエルの母親(ラストで母親でないことが明らかになる)が自殺して以来、ゲイブリエルは混乱していく。そしておなじみの衝撃的なラスト。森の中で血まみれになる姿は耽美的。
「Brecha」と全く同じシーンがあった。鼻血が流れているのにそのままにしている少年に「血が流れているぞ」と男が指摘すると、少年は「わかっているよ。いつも流したままにするんだ」と答える。「どうして拭かないんだ?」と聞かれると、「It makes me feel cleaner.」と答える。(すっきりするんだよ(?))監督はなぜこのやり取りを2つの映画にわたって撮ったのか不思議。
2013/02/16
旅立ちの時 (1988)
Running on Empty (1988) ★★★★★
リバー・フェニックスの出演映画。ラストは感動して久しぶりに目がうるうるした。
革命家の親を持つダニー(River Phoenix)と弟のハリー(Jonas Abry)は、生まれたときから身を隠すために引っ越しを繰り返さなければならない生活を送っていた。家族の厳しい生活を描きながら、優しくて心地のいい音楽が使われている。
とにかくリバー・フェニックスの魅力が詰まった映画だった。自由に身分を名乗れないという状況が彼を謎めいた存在にしていて、それがまたいい。「鏡を見ると違う自分がいるし、半年ごとに名前も変わる。いやな感じだよ」
映画を見る限り、リバー・フェニックスは実際にピアノを弾くのが上手い。顔と手が同時に映っていたので替え玉ではなさそう。睨みつけているようでいて、おっかなく感じさせないような目力がある。あと照れ笑いの表情がとてもリアルだった。完全に役になりきるより、役者の本来の性格をちらっとでも垣間見ることが出来ると、見ている側としてはその人のファンになってしまうのかもしれない。そういえば、SMAPの番組でアラン・ドロンがゲストとしてやって来たとき、アラン・ドロンが草彅くんに「君は役を演じる俳優か、それとも生きる俳優か?」という質問を投げかけていた。アラン・ドロンは自らのことを役を生きる俳優だと言っていた。その時アラン・ドロンが言っていたことは、そういうことかもしれない。
それから細かいところでは、授業で先生にあてられたときの一旦メガネを外す仕草がかっこよかった。メガネをかけていたら真似してみたいと思った。「ベートーベンじゃ踊れない」 この返しで教室のみんなから拍手される。
日本でも昔は学生運動というものがあったらしいけど、どういうものかイメージが湧かない。この映画でも「地下に潜る」という表現が使われていた。「クローズド・ノート」を見てみたい。革命家なんて聞くと、何となくかっこいい感じがするけど、この映画を見る限り、あまり世間には抗わないほうがよさそうだ。
リバー・フェニックスの出演映画。ラストは感動して久しぶりに目がうるうるした。
革命家の親を持つダニー(River Phoenix)と弟のハリー(Jonas Abry)は、生まれたときから身を隠すために引っ越しを繰り返さなければならない生活を送っていた。家族の厳しい生活を描きながら、優しくて心地のいい音楽が使われている。
とにかくリバー・フェニックスの魅力が詰まった映画だった。自由に身分を名乗れないという状況が彼を謎めいた存在にしていて、それがまたいい。「鏡を見ると違う自分がいるし、半年ごとに名前も変わる。いやな感じだよ」
映画を見る限り、リバー・フェニックスは実際にピアノを弾くのが上手い。顔と手が同時に映っていたので替え玉ではなさそう。睨みつけているようでいて、おっかなく感じさせないような目力がある。あと照れ笑いの表情がとてもリアルだった。完全に役になりきるより、役者の本来の性格をちらっとでも垣間見ることが出来ると、見ている側としてはその人のファンになってしまうのかもしれない。そういえば、SMAPの番組でアラン・ドロンがゲストとしてやって来たとき、アラン・ドロンが草彅くんに「君は役を演じる俳優か、それとも生きる俳優か?」という質問を投げかけていた。アラン・ドロンは自らのことを役を生きる俳優だと言っていた。その時アラン・ドロンが言っていたことは、そういうことかもしれない。
それから細かいところでは、授業で先生にあてられたときの一旦メガネを外す仕草がかっこよかった。メガネをかけていたら真似してみたいと思った。「ベートーベンじゃ踊れない」 この返しで教室のみんなから拍手される。
日本でも昔は学生運動というものがあったらしいけど、どういうものかイメージが湧かない。この映画でも「地下に潜る」という表現が使われていた。「クローズド・ノート」を見てみたい。革命家なんて聞くと、何となくかっこいい感じがするけど、この映画を見る限り、あまり世間には抗わないほうがよさそうだ。
2013/02/06
キッズアイランド (1980) <未>
Barnens ö (1980) ★★★★★
拝借したDVDより。英題 “Children's Island” 主役のレイネ(Tomas Fryk)の***した***にカメラの焦点が合わせられるのには驚いた。他の映画では見えたとしても一瞬で、アップになることはまずない。キングオブ珍出しムービーです。
大人になりたくないレイネ少年の成長物語。大人になっていないことを確かめるため毎日ちん毛が生えてきていないかチェックする。そのせいもあってよく映る(もうこれぐらいにしておこう)
サイケデリックな?BGMが映画を異様なものにしている。「トムとローラ」を知っている人は少ないだろうけど、それと同じような不思議で不気味な雰囲気がある。
母親は仕事で出ていき、レイネは夏休みを家で1人で過ごすことになる。そこから彼の自分探しが始まる。「誰もやってこないし誰にも邪魔されない。何もかも思い通りだ!」と、わくわくした気持ちで、壁に宇宙飛行士?の写真を張り付けたり、夜遅くまでテレビを見ていたりするのだが(なぜか全裸で)見ていたのがホラー映画か何かで、結局テレビの電源を引っこ抜いて「ママ、ママ…」と暗い部屋の隅で泣いていた。
デザインの仕事を手伝ったり、サーカス団に入ったり、後半には、大人への反抗の気持ちが強くなってきたようで、ヒッピーやギャング集団とつるむ。いろんな経験を通して、最後には前向きに12歳を迎えるのだった。ちん毛も1本生えてきたらしい。
大人になりたくない気持ちは分かる(もう大人だけど) レイネは「絶対に欲情しないしセックスもしない」という誓いを立てる。しかしその思いに反して体はちゃんと反応する。混沌とした思春期ならではの葛藤を観ることが出来た。
拝借したDVDより。英題 “Children's Island” 主役のレイネ(Tomas Fryk)の***した***にカメラの焦点が合わせられるのには驚いた。他の映画では見えたとしても一瞬で、アップになることはまずない。キングオブ珍出しムービーです。
大人になりたくないレイネ少年の成長物語。大人になっていないことを確かめるため毎日ちん毛が生えてきていないかチェックする。そのせいもあってよく映る(もうこれぐらいにしておこう)
サイケデリックな?BGMが映画を異様なものにしている。「トムとローラ」を知っている人は少ないだろうけど、それと同じような不思議で不気味な雰囲気がある。
母親は仕事で出ていき、レイネは夏休みを家で1人で過ごすことになる。そこから彼の自分探しが始まる。「誰もやってこないし誰にも邪魔されない。何もかも思い通りだ!」と、わくわくした気持ちで、壁に宇宙飛行士?の写真を張り付けたり、夜遅くまでテレビを見ていたりするのだが(なぜか全裸で)見ていたのがホラー映画か何かで、結局テレビの電源を引っこ抜いて「ママ、ママ…」と暗い部屋の隅で泣いていた。
デザインの仕事を手伝ったり、サーカス団に入ったり、後半には、大人への反抗の気持ちが強くなってきたようで、ヒッピーやギャング集団とつるむ。いろんな経験を通して、最後には前向きに12歳を迎えるのだった。ちん毛も1本生えてきたらしい。
大人になりたくない気持ちは分かる(もう大人だけど) レイネは「絶対に欲情しないしセックスもしない」という誓いを立てる。しかしその思いに反して体はちゃんと反応する。混沌とした思春期ならではの葛藤を観ることが出来た。
2013/02/02
明日の空の向こうに (2011)
Jutro bedzie lepiej (2011) ★★★★★
3人の少年たちが自分たちだけで国境を超えるという話。3人ともイケメンもしくは美少年。ドロタ・ケンジェジャフスカ監督の作品には「僕がいない場所」というものもあるが、それもこの映画と同じように少年が主役の少しさびしい話だった。
ペチャは一番年下で、年上の2人に何度か置いてきぼりにされそうになる。しかし、ペチャは生命力があるというか、そんなことではへこたれない。さびしそうな表情を浮かべたり、弱音を吐いたりすることはほとんどなかった。ただ、ぬいぐるみのテディが見当たらなかったり、兄貴に取られたりすると必死になる。兄貴からテディを奪い返すと、初めはテディを叱って地面にたたきつけるが、そのあとすぐに慰めて、キスを浴びせる。
国境を超えるためには電流が流れた電線を潜り抜けなければならない。それに備えてロープを張って練習するのだが、一番年上の子は真面目に取り組もうとしても、ペチャは「僕は大将がいい!」と言い張ってばかり。お兄ちゃんはそんなペチャをみてくすくすと笑う。「ペチャ!いつもお尻が上がってる!」
結局、本番ではペチャは最初に電線を潜り抜ける。あとの2人が潜り抜けるまでその場で居眠りする余裕っぷり。一気に安堵感が出たのか、それとものんきなだけなのか。
最後まで見ると、さびしい話になってしまう。とにかくペチャが面白くて可愛かった。虫歯なのか、前歯がほとんどなくて、あれは特殊メイクなのかなと思ったけど、違うのかな。ちなみに「天国への300マイル」という映画も少年2人が国境を越えるが、そこでつらい目を見るという話だった。そっちの方はトラックの裏に張り付いたり、船の荷物置き場に閉じ込められたりと、かなり過酷な国境越えだった。
3人の少年たちが自分たちだけで国境を超えるという話。3人ともイケメンもしくは美少年。ドロタ・ケンジェジャフスカ監督の作品には「僕がいない場所」というものもあるが、それもこの映画と同じように少年が主役の少しさびしい話だった。
ペチャは一番年下で、年上の2人に何度か置いてきぼりにされそうになる。しかし、ペチャは生命力があるというか、そんなことではへこたれない。さびしそうな表情を浮かべたり、弱音を吐いたりすることはほとんどなかった。ただ、ぬいぐるみのテディが見当たらなかったり、兄貴に取られたりすると必死になる。兄貴からテディを奪い返すと、初めはテディを叱って地面にたたきつけるが、そのあとすぐに慰めて、キスを浴びせる。
国境を超えるためには電流が流れた電線を潜り抜けなければならない。それに備えてロープを張って練習するのだが、一番年上の子は真面目に取り組もうとしても、ペチャは「僕は大将がいい!」と言い張ってばかり。お兄ちゃんはそんなペチャをみてくすくすと笑う。「ペチャ!いつもお尻が上がってる!」
結局、本番ではペチャは最初に電線を潜り抜ける。あとの2人が潜り抜けるまでその場で居眠りする余裕っぷり。一気に安堵感が出たのか、それとものんきなだけなのか。
最後まで見ると、さびしい話になってしまう。とにかくペチャが面白くて可愛かった。虫歯なのか、前歯がほとんどなくて、あれは特殊メイクなのかなと思ったけど、違うのかな。ちなみに「天国への300マイル」という映画も少年2人が国境を越えるが、そこでつらい目を見るという話だった。そっちの方はトラックの裏に張り付いたり、船の荷物置き場に閉じ込められたりと、かなり過酷な国境越えだった。
2013/01/16
あなたのいないところで (2008) <未>
En tu ausencia (2008) ★★★★★英題は"In Your Absence" いい邦題が思いつかない。この映画の監督は少年を撮るのがうまいと思う。この次の作品「Brecha」も同じような話。監督が同じだとはいえここまで似るのかと思うほど。
あらすじ(自作)
13歳のパブロは梯子に登り屋根の修理をしている父親を落下させて殺してしまうという悲惨な過去をもった少年だった。
ある日、パブロは田舎の山道で車が故障してしまい立ち往生しているパコという男と出会う。車を動かすのを手伝ってほしいと言われたパブロは、不審に思いながらも動かすのを手伝った。そこに郵便配達をしていた男が通りかかり、パコは彼から近くの町の修理工を紹介してもらう。郵便配達人は去り際に知らない男には気を付けろとパブロに警告する。
パブロはパコを修理工の所まで案内する。車を見てもらうと修理に2,3日はかかると言われる。パコはこの近くに住んでいるはずの友達に会いに行こうとするが、その友達はパブロの亡き父親だった。パコは彼の墓の前で涙を流した。その後、パコは彼との思い出話をパブロに聞かせる。そうしてパブロとパコの距離はぐっと縮まる。
街のカフェにいた2人のもとに先ほどの郵便配達人がやってくる。そしてパコの話に矛盾があったことをパブロに知らせる。故障した車に関してパコは彼自身のものだと言っていたが、実はレンタルされたものであることが分かったのだ。
郵便配達人の話によりパコが怪しい人物だということは分かってはいたが、父親を亡くしているパブロはパコに好意を抱くようになっていた。次の日、パブロは洗面台の前で念入りに髪の毛を整えて、服装もいつもとは違う清潔な格好をしてパコに会いに行くが、彼は修理工の息子である男の子と楽しそうに話をしていた。それを見たパブロはさびしそうな表情を浮かべる。
彼には仲の良い友達である15歳のジュリアがいた。友達であると同時に母親以外の唯一の身近な異性でもあった。2人きりになると年上であるジュリアはパブロにキスの仕方をエスコートし始める。服を脱がされかけたところでジュリアのもとを離れるパブロだったが、その夜、その事を思いながらベッドの中で射精するパブロだった。
パブロはパコを湖に連れて行く。パブロはパンツ姿になり湖に浸かる。パコはそれを眺める。パブロは湖から上がりパンツを脱いで、パコの横に座り彼を見つめる。(この行為が何を意味するのか不明。おそらく深い意味はない?)。その場に再び例の郵便配達人が現れる。新しく聞きつけてきたパコに関する噂を、今度は本人を目の前にしてパブロに告げる。他の街である女性と一緒にいるパコの目撃した者がいるとのことだった。郵便配達人がその女性の名を言いかけると、パコは彼を追い払ってしまう。
パコに関する様々な噂が街中に広がってしまっていた。パコは過去に刑務所にいたということをパブロに明かす。街を出ていこうとするパコだったが、パブロはどうしても彼にそばにいてほしかった。
別の場所で湖でふざけあっていた男の子たちのうち一人が溺死するという事故が起こった。溺れたのはパコと仲良く話していた修理工の息子だった。一緒にいた男の子たちは、責任を逃れようと友達を殺したのはパコだと嘘をつく。街の人たちは完全にパコが犯人だと思い込み、彼を捜索し始める。
その時、パコはパブロの母親とベッドの中にいた。実はパブロは騙されていた。パブロの母親とパコは昔からの愛人であり、パブロの母親は夫を事故で亡くして以来、パコが刑務所から出所してくるのを待っていたのだ。
ベッドにいる2人をパブロは目撃してしまう。パブロは銃を持ち出しパコに向ける。ちょうどそこにパコを探していた人々がやってきて、パブロから銃を取り上げて裸のパコに発砲する。
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