2013/03/29

アフリカの鳥 (1975)

アフリカの鳥 (1975) ★★★★

学校の成績は悪いが毎日を楽しそうに過ごす強(神谷政治)と、親から強要される勉強を真面目にこなす徹。どちらが良いのだろう。

徹が塾で勉強しているときに、強とその友達は川辺に遊びに行き、野鳥を観察して日記にまとめる。テストの点数こそ悪いが、そんな風に自分の好きなことには没頭できる。

一方徹は、親から言われるがまま塾に通い、強たちとは距離を置くようになる。塾では、先生の質問に答えられなければ、竹刀でお尻を叩かれる。そして子供たちは「ありがとうございます」と返事しなければならない。今の時代だったらありえない。徹はノイローゼ気味になり、家出をする。

そんなときに徹のおじいちゃんが口にした、「学問とは、心を豊かにするためにするものじゃ」という言葉には考えさせられた。下手をすれば、この言葉は学問をさぼる理由になりかねない。しばらく適当な解釈を見出そうとしたが、難しかった。

そういえば、野鳥観察が趣味の青年が、鳥の図鑑を読むために英語を勉強したということを言っていたが、そんな風に努力するには目的が必要だと思う。単純にテストで良い点数を取るというのでもいいと思う。良い点数が返ってきたときには、達成感に包まれて心も豊かになるだろう。


2013/03/28

スコットと朝食を (2007)

Breakfast with Scot (2007) ★★★★★

何度も観た映画のうちの1つ。自分の中ではおなじみの作品で、今更ながらの記事化といった感じである。

作品解説(以下引用)
http://tokyo-lgff.org/2008/prog/scot.html

元プロホッケー選手でスポーツキャスターに転身したエリック(トム カヴァナフ)と弁護士サム(ベン シェンクマン)は筋金入りのゲイカップル。サムは、ひょんなことから11歳の孤児の少年スコット(ノア バーネット)を一時的に引き取ることに…。『スコットと朝食を』は、「仮想」家族が根を下ろし、紆余曲折を経て本当の家族のような温かな姿となるストーリーを展開する現代版コメディー。

本作品は単なるコメディーでは終わらず、プロスポーツの世界における同性愛やゲイのヒーローを受けいれたがらない社会についても扱っている。ナショナルホッケーリーグ(NHL)は、『スコットと朝食を』に対して支持を表明し、作品中にNHLやトロントメープルリーフの名称やロゴを使用する権利を認めたのだ。

プロデューサーのポール・ブラウンは、こう語る。「画期的で面白く、それでいて重要なメッセージを伝えられるような映画を製作できてわくわくしているよ。マイケル・ダウニングのすばらしい小説をもとに、とても身近なストーリーに仕上げることができたと思う。新進気鋭の監督による11歳の女王をキャスティングに迎えたこの最新映画からはたくさんの楽しみが得られると思う。」(引用ここまで)

主役のスコットを演じたノア・ベネット(Noah Bernett)君の可愛さに尽きる。彼がエリックとサムのもとに持ってきたものと言えば、幸運ブレスレットや、ピンクのクチナシ(ハンドクリーム)など、男の子らしいものは1つもなかった。夜中にひとりで、自分のために、クリスマスキャロルを歌う。授業中に朗読させられた物語に入り込み、感極まって泣いてしまう。スコットにとっては自然なことなのだろうが、帰り際にクラスのやんちゃものにキスをしようとし、全力で拒否される姿には、思わず声を出して笑ってしまった。

3人ともゲイではあるが、エリックとサムは傍から見れば完全なノーマル(スコットだけが明らかなオネエ)。ゲイらしい描写は全くなく、ラストにエリックとサムが軽く口づけするぐらいなので、同性愛が苦手という方でも楽しめると思う。男同士のキスを見て朗らかな気持ちにさせられるなんて、めったにないことだろう。

この映画の好きな所、テンポよく繰り出される笑い、分かりやすいストーリー、エリックとサムの軽快な会話、可愛い子供たち、など。他人とは違うことを全く気にしないスコットを見ていると、ほのぼのと優しい気持ちにさせられる。この映画に文句をつけるとしたら、観られる機会が限られているということぐらい。

君と歩く世界 (2012)

De rouille et d'os (2012) ★★★

マリオン・コティヤール主演。余計な演出を極力排除している。事故で両足を失ったステファニーと、路上ファイトなどで賭金を得る粗暴なアリ。そして息子のサム(Armand Verdure)。その3人を中心に淡々と話は進んでいく。ワインを飲みながらのんびりと観ていたが、それが良い感じだった。過激なシーンになるであろう、両足を失う事故であったり、殴り合いの場面でさえも、かなり静かに抑えてあった。

アリを演じたのはマティアス・スーナーツ。まずは彼の筋肉が凄かった。相手の顔面を素手で殴りつけるときの、びちぃ!という音。ヌードシーンもあって、サムではない方の彼の息子が一瞬映る。

息子のサムを演じたアルマン君については、セリフも単語レベルで役を演じるという感じではなかったが、その存在は父親アリの背負う責任を痛々しく伝えている。

そしてステファニー。両足を失ってもたくましく生きていく彼女の姿には励まされた。なにより会場で生マリオン・コティヤールを目撃できた。

ちょっと落ち込み気味の時にこの映画を観れば、勇気づけられてプラスに働くと思った。


2013/03/27

恋 (1970)

The Go-Between (1970) ★★★

とてもピュアな12歳の少年レオ(Dominic Guard)は別荘でひと夏を過ごすことになる。そこで1人の女性と出会い、性に目覚める。美しいイギリスの田園風景、立派な屋敷、女性たち、装飾品、洋服などが見どころ。

レオが恋心を寄せるのは、年上のマリアンだった。しかしマリアンは別の男に惚れていて、その男に手紙を書き、レオに届けるよう言い渡す。何も知らないレオは、マリアンが喜んでくれることがただ嬉しくて、素直に手紙を届けにいく。

レオは純粋すぎて、大人たちに言われるがままになっていたようで可哀そうだった。何度も手紙の渡し役を担うので「マーキュリー」だったり「ポストマン」だったり、かっこ悪いあだ名をつけられる。

大人たちに囲まれる中、新調した緑色の服を着させられ、さらに踏み台の上に立たされて、似合うわよ、可愛いわね、などと大人たちにささやかれる場面があったが、自分が小さいときは、ああいうのは苦手で、絶対に踏み台に登らなかっただろうなと思った。ラストシーンでは、レオは惚れていたマリアンと男がセックスしている場面を目撃してしまうので、やるせなかった。しかしここでレオは、興味深く質問していたことを目の前にし、とにかく成長したのだと思う。


2013/03/24

パップス (1999)

Pups (1999) ★★★★

「狼たちの午後」の少年版。ただ、主役のスティービー(Cameron Van Hoy)はガールフレンドもいるし、ゲイではない。

首を吊ろうとしている自分をビデオで撮影し、「マジでやるぞ?止めたい奴はいるか?」と、誰に訴えるわけでもなく、ただ怒りをぶつけるスティービー。

「この街は俺を殺そうとしている」「まともに息もできない」と言っているような13歳の少年に銃を持たせてしまえば、学校の通り道にある銀行にふらっと立ち寄って、銃をぶっ放し、占拠してしまいかねない。スティービーが突然起こした行動に、一緒についてきたガールフレンドのロッキーは、始めこそはうろたえるが、占拠している間はずっと楽しそうな表情を浮かべている。13歳ぐらいの子なら実際そんなものなのかもしれない。

警官から要望はなんだと聞かれたときに、「まずはちゃんと呼吸をさせろ」と、訳の分からない要求を突き付けるが、毎日の生活に不満ばかりを感じているスティービーの心境を理解できた。喘息を患っていたことなんかは二の次だと思う。

実際にあり得てもおかしくない話だと思う。大人になるのが嫌で、「俺たちに明日はない」のような退廃的なものにあこがれを持つ若者は多いはず。ラリー・クラークの「Bully」のような若さゆえの狂気(?)をこの映画でも感じた。劇中で「ベテランのギャングに何が一番怖いか尋ねると、悪にあこがれる13歳に満たない少年だと」という言葉があった。

「狼たちの午後」でもそうだったが、あれだけFBIに囲まれて、うまくいくはずはないと分かっていても、十分に引き付けられる映画だった。たてこもっている犯人と人質、外の警官の心理的な描写が面白い。

2013/03/15

ウィーンに燃えて (1988)

Burning Secret (1988) ★★★

喘息持ちのエドモンド(David Eberts)とその母親は治療のために山里の療養場に訪れ、そこで1人の男と出会う。

冒頭から流れるさびしげな音楽。それと病気がちな美少年。これには「メリーゴーランド」「クリスマス・ツリー」「ウインター・ローズ」と同じような展開を期待させられた。純真無垢な少年が可愛そうな目に合うストーリーは嫌いじゃない。

エドモンドは療養場で出会った男のことを慕うようになり、その男と一緒にいることがそこでの生活の1番の楽しみになる。しかし、男の本当の目的はエドモンドではなく、彼の母親だということが発覚して、3人のどろどろした関係が始まる。ここら辺から観ていて辛くなった。

母親が目的でエドモンド近づいた男が悪いのだけれど、旦那がいるのに欲情してしまう母親の方にイライラさせられた。エドモンドが喘息を起こしているときに2人は別室で抱き合っている。エドモンドの苦しそうな息遣いと、2人のキスシーンをかぶせてくるのは皮肉だった。

If もしも.... (1968)

If.... (1968) ★★★★

イギリスのパブリックスクールの実態を描いたという映画。主役は「時計仕掛けのオレンジ」のマルコム・マクダウェル。反抗する態度や目つき、不敵な笑みなど、流石だった。

これから先は味わうことのないと思われる、学生時代における男子間での上下関係や人間関係などが浮き彫りにされていて、懐かしさを覚えた。上級生と下級生では体の大きさも声のトーンも全く違う。下級生たちは「まずは上級生の名前を覚えるんだ」などと上手くやっていくための術を模索する。

リーダー格の監督生はやりたい放題。気に入らない者に体罰を与え、特に可愛い下級生を呼びつけて身の回りの世話をさせる。

そんな理不尽な権力にトラビス(マルコム・マクダウェル)は屈しない。「ムチでいう通りになるほど俺たちヤワじゃないぜ。」と言い返す。もし自分がこの映画の中にいて、トラビスのこの言葉を隣で聞いていたら、危険であっても間違いなくトラビスについて行くと思う。それぐらいかっこよかった。

ロビン・ウィリアムズ主演の「いまを生きる」では、抑圧された寮生活が原因で、自殺者が出るという暗い展開だったが、この映画ではトラビスと仲間たちが銃を連射するというラスト。現実的に考えなければ、観ていて気持ちのいい終わり方だったと思う。

2013/03/11

蒸発旅日記 (2003)

蒸発旅日記 (2003) ★

人生をあきらめたような男が、ありったけの金と時刻表だけをもってふらふらする話。ストーリー性はほとんどない。監督の山田勇男は寺山修司の美術スタッフとして活躍していたという。寺山修司といえば「トマトケチャップ皇帝」という映画が気になる。海外の映画サイトでもカルト的扱いをされていた。英題 “Emperor Tomato Ketchup”

この「蒸発旅日記」には、なんとも妖艶な美少年(七海遥)が出てくるのだが、登場するのはトータルで3分程度。しかし十分に存在感はあった。DVDのパッケージにも大きく載せられている。

映画自体は楽しめなかった。1時間は見たものの、それ以降は3~4倍速で再生するということに。

2013/03/08

ゲイブリエル (2012) <未>

Vuelve (2012) ★★★★★

「En tu ausencia」「Brecha」のイバン・ノエル監督の作品。前作の2つはかなりツボにはまっていたので、この映画にも期待していたのだが、パッケージの雰囲気ががらりと変わって、ジャンルもスリラーに分類されているということで、前作で得たような感動はないだろうと思っていた。

しかし、センスのいい映像や音楽は健在で、根本的なテーマは変わっていなかった。グロテスクな表現が少し増え、スリラーになってはいるが、「En tu ausencia」「Brecha」と並ぶ傑作だと思う。

今回の「Vuelve」は、他の作品に比べても特に主役の少年の魅力をたっぷり描いていると思う。セリフが多いわけではないのだが、きれいな目と、そして体で、独特な雰囲気を作り出していた。ヌードシーンもあったりして日本で公開になることはないと思う。むやみにエロいという感じではなくてちゃんと美しく映し出されてはいた。

修道院に住んでいるゲイブリエル(Renzo Sabelli)という少年が主役。映画が始まり、最初に表示されるのが「Cotard Syndrome」という精神病の説明文で、それのおかげで先の展開がものすごく気になった。つまり「つかみ」が完ぺきだった。この病気についてネットで調べてみても日本語のページが見つからないのだが、自分が死んでいるように錯覚する病気っぽい。その病にかかっていたゲイブリエルの母親(ラストで母親でないことが明らかになる)が自殺して以来、ゲイブリエルは混乱していく。そしておなじみの衝撃的なラスト。森の中で血まみれになる姿は耽美的。

「Brecha」と全く同じシーンがあった。鼻血が流れているのにそのままにしている少年に「血が流れているぞ」と男が指摘すると、少年は「わかっているよ。いつも流したままにするんだ」と答える。「どうして拭かないんだ?」と聞かれると、「It makes me feel cleaner.」と答える。(すっきりするんだよ(?))監督はなぜこのやり取りを2つの映画にわたって撮ったのか不思議。

2013/03/06

四万十川 (1991)

四万十川 (1991) ★★★★

四万十川流域に住む家族を描いたドラマ。昭和30年代の設定で、着物や建物に風情がある。風景も自然豊かで良かった。

主役の篤義を演じたのは山田哲平くん。演技が上手だと思った。母親に頭ごなしに叱られ、逆切れ(?)するシーンなど、見ていて気持ちが良かった。体当たりで役を演じている。走行してくる車の正面に立ち、クラクションを鳴らされるも、動じずに石を投げつける場面が一番良かった

クラスのある女の子がいつも塩をかけただけのご飯をお弁当に持ってきていたので、クラスの男子に「塩飯」とあだ名をつけられ苛められる。篤義はそのことを母親に話すと、「見ているだけなのも悪いことよ」と教えられる。たしかに、傍観しているだけなのはよくないと思うし、特に小中学生の頃は先生に口酸っぱく言われてきた。しかし実際トラブルが起こっているところに切り込んでいくのはかなりの勇気がいると思う。自分を犠牲にして女の子を守った篤義はとても勇敢。

自分の両親は自分がやりたいようにやらせてくれているけど、この映画の子供たちはそうはいかない。出稼ぎ行こうとしても「家族の世話をしなさい」と反対される。そんな姿を見ていると、親には感謝しないといけないなと思う。もし自分に子供が出来たら、口出しせずに子供たちにはやりたいことをやらせてあげたいと思った。

2013/03/05

夏の庭 (1994)

夏の庭 (1994) ★★★

メガネをかけた子と、太った子と、もう一人の子(3人の中でも出番は多いが全然特徴がない)の3人は、老人が孤独死するところを見ようと、一人暮らしの老人が住むあばら家の前に座り込み、中を覗く。そんな遊びすぐに飽きそうなものだが、何がそうさせているのか、辛抱強く続けているうちに、3人の少年とそこの老人は本当に仲良くなる。

普通「メガネくん」というと、地味なキャラクターになりがちだが、この映画の場合は、その「メガネくん」が一番積極的でしっかりしていた。太った子は典型的な「デブキャラ」といった感じで、鈍くさい。セリフが棒読み気味だった。老人はそれぞれを「めがね」「関取」と呼ぶ。もう一人の子のことを老人がどう呼ぶか気になって見ていたが、結局呼ばなかった。

老人を演じた三國連太郎はさすがだと思った。3人の少年たちに比べて全く演技に不自然さを感じなかった(子役と比べればそれはあたりまえか)。YouTubeなどに動画を投稿している子供たちのような自然な姿を映画でも見られればいいのにな。

メガネくんが、車が行きかう道路の上の塀に登り、死について話すシーンは見入った。

2013/03/02

川の流れに草は青々 (1982)

在那河畔青草青 (1982) ★★★

舞台は台湾の小学校。特に大きな事件も起こることなく、村の人たちの生活をほのぼのと映し出している。この雰囲気は「サザエさん」に似ていると思った。

この映画の良かったところは、登場人物がほとんど良い人だったということ。先ほど観た「鉄塔武蔵野線」では、主役の見晴と暁にとって大人たちはある意味敵だった。しかし、この映画では大人の態度の中に子供たちへの優しさがある。子供たちがとても元気。黄色い帽子をかぶってランドセルを背負った姿は、日本の小学生と見た目はほとんど同じ。小学校を舞台にした映画はいくつか見たことあるが、どれも欧米のものばかりでこれほどは親近感を覚えなかった。

いまいちだったところは、ストーリーに起伏がなくて盛り上がりに欠けるということ。よその国の様子をただ延々と見せられている感じもある。それから、「サザエさん」でもそうだが、なんとなく一昔前の話のように思われる。普遍的な良さではあるのかもしれないが、分かりにくい。例えば学生で「サザエさん」が好きという人はあまりいない。(たぶん)
若い人にはなかなか分からない良さ??

まあ、「川の流れに草は青々」と「サザエさん」は何の関係もないのだけれど。

2013/03/01

鉄塔武蔵野線 (1997)

鉄塔武蔵野線 (1997) ★★★

子役時代の伊藤淳史主演。ずっと先まで続いている鉄塔をなぞっていくという話。伊藤淳史はドラマの「電車男」でオタクを演じていたが、この映画でも鉄塔に固執する変わった少年を演じている。

見晴(伊藤淳史)の両親は別居することになる。父親に声をかけられても見晴は見向きもしない。ビンの蓋を集めて1つずつ金槌を打ってつぶしていく。そういえば、中学生の時、男子の間で学生服のボタンをつぶすのが流行っていた。当時は、なんとなく不良っぽくてかっこいいと思っていた。すると、集会で生活指導担当の怖い先生が前に出てきて「最近男子の制服のボタンがつぶれているなぁ」と怪訝そうにしていた。中学生の頃は、男子は訳のわからないことをするし、先生も訳も分からず怒鳴っていたように思える。

いろいろと生徒と先生の当時の意味不明なやりとりを思い出してきて、書きたくなってきたが、映画と関係ないのでやめておこう。

この映画でも大人から見たらよくわからないこだわりを見晴はみせる。友達の暁を一緒に連れて、親には内緒で鉄塔の下につぶした蓋を埋めていくという冒険に出る。日本版「スタンド・バイ・ミー」。

当時の自分だったら、親に内緒で遠くに出かけるとなると、好奇心とかの前に、大人に叱られるということをまず考えていたと思う。そういうときに、この映画の見晴(「スタンド・バイ・ミー」だったら、リヴァー・フェニックスが演じたクリス)のような、まっすぐ突き進んでいく頼もしい友達が必要だった。そして当時の自分にはまさに見晴やクリスのような頼れる友達がいた。この映画の暁とは何か違うけれど、「スタンド・バイ・ミー」のゴーディはかなり自分と被った。そんなふうに過去を投影できる映画はすばらしいと思う。