学校の成績は悪いが毎日を楽しそうに過ごす強(神谷政治)と、親から強要される勉強を真面目にこなす徹。どちらが良いのだろう。
徹が塾で勉強しているときに、強とその友達は川辺に遊びに行き、野鳥を観察して日記にまとめる。テストの点数こそ悪いが、そんな風に自分の好きなことには没頭できる。
一方徹は、親から言われるがまま塾に通い、強たちとは距離を置くようになる。塾では、先生の質問に答えられなければ、竹刀でお尻を叩かれる。そして子供たちは「ありがとうございます」と返事しなければならない。今の時代だったらありえない。徹はノイローゼ気味になり、家出をする。
そんなときに徹のおじいちゃんが口にした、「学問とは、心を豊かにするためにするものじゃ」という言葉には考えさせられた。下手をすれば、この言葉は学問をさぼる理由になりかねない。しばらく適当な解釈を見出そうとしたが、難しかった。
そういえば、野鳥観察が趣味の青年が、鳥の図鑑を読むために英語を勉強したということを言っていたが、そんな風に努力するには目的が必要だと思う。単純にテストで良い点数を取るというのでもいいと思う。良い点数が返ってきたときには、達成感に包まれて心も豊かになるだろう。
強(神谷政治)
ふてくされる上品なお坊ちゃんといった感じの、徹。
授業参観。後ろに並ぶ「麦畑」。
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